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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2019年9月17日火曜日

「人命は地球より重い」を使うのは止めましょう

先日、運転免許更新の手続きを行いました。
30分の優良運転者講習で手に取った交通安全の知識という冊子を捲ると、最初に運転者の心構えが書いてあり、その一項目は「人の命の尊さを知る」で、
『人命は地球より重い。・・・』と始まります。

この『人命は地球より重い。』というフレーズは、日本では当たり前の様に使われていますが、立ち止まって意味を考えようとすると、すぐに『う-ん』と詰まってしまいます。

このフレーズが広がったのは、昭和52年9月28日に起こったダッカ日航機ハイジャック事件といわれます。連合赤軍がムンバイで日航機をハイジャックし、その後、身代金と日本で収監されている連合赤軍メンバーの解放と合流を要求します。従わなければ人質である乗務員、乗客あわせて151名が殺されます。
そして、時の福田赳夫総理大臣率いる政府は、総理大臣の「一人の生命は地球より重い」の言葉とともに、超法規的措置を発動し、ハイジャック犯の要求をすべて飲み、人質は解放されて終わります。

この言葉から、日本では、尊さにランクがつけられて、より尊いもの、尊いことほど重いと表現しているのだと思います。でも、もしそうなら人の命にも無意識にランク付けがされるでしょうし、それは現在の日本国憲法の法の下の平等に反する行為です。
こじつけでは無く、それが人の命を軽んじて起こす犯罪の根っこにあるのではと思います。

仏教では、人の命は脆い、儚いものだと説いています。儚い、脆いにランク付けはありません。一切衆生皆、脆く儚いと説いています。これなら得心します。

一切衆生皆、脆く儚いのだから、
すべての生を助けなければいけない、守らなければいけない、また自分が生きていることに感謝しなければならない、と思えるのだと思います。

大上段に『人命は地球より重い』などとは言わないで、だれもが生に謙虚になれるような教育こそ必要では無いかと思います。

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