以下、先生に宛てた感想です。
田辺先生、お早うございます。
昨日、高砂で行われた田辺先生の「高砂の歴史と文化から」の講演会に参加しました。
私は高砂は北浜の住民です。十歳の時に姫路から越してきて二十歳過ぎまで、残念ならが高砂を誇る様な出来事に出会えませんでした。当時は、学校でも地域でも、郷土を学ぶ、という機会は無かったように思います。
でも大阪で働くようになって、上方落語を楽しむようになってから、高砂が舞台の「花筏」を枝雀さんの落語で知って、昔は、相撲巡業を呼べるほどに活気溢れる港町であった事が偲ばれて、はじめて地元高砂になんとなく誇らしい気持ちが持てるようになりました。
昨日のお話、神代から始まる日本の歴史・文化の中に、様々に播磨の国はもとより高砂の風景・文化がしっかりと織り込まれていることを知り、また、今も残る地名や言葉として、しっかりと息づいている事を理解して、とても誇らしい気持ちで夢中で傾聴しました。
アクシデントで、最後までお話を聴くことが出来ませんでしたので、続きはラジオでお願いしたいと思います。
後、私も来年60歳ですが、講演会は高齢者で大盛況でしたね。私はウォークには参加しませんでしたが、昨日はとても空気が澄んで、ウォークをするのに最高の天候でした。でも、それが災いしたのかもしれませんね。ウォークを満喫して、会場に来て、座席に腰を下ろして、突然どっと疲れが襲ってきたのでしょう。講演会が始まってすぐのアクシデントは、このようにして起こったのではないか、と想像します。
救急隊がすぐに駆け付けてくれるのは分かっていましたので、そう心配はしませんでしたが、救護ブースが常設してあれば、もっと安心かなと思います。
そして、池田奈月アナウンサーにお目にかかれず残念でした。体調を崩されて、少し長いので心配です。早く元気な声が聴けること、願っています。
追伸.
高砂でも、北浜町は隣接する姫路市大塩町との関係が深く、あまり高砂市民という意識は薄いです。この辺りは、昔は塩田が広がっていました。中学まで、その風景を眺めることが出来ました。遙か昔は、この辺りは、日笠山から一本松の裾まで海だったといいます。北側の的形大鳥辺りまで、深い入り江の海であったといいます。もしかしたら御津から相生に続く七曲がりの様な風光明媚な海岸線であったのかな、と想像します。そういえば、竜山の山頂辺りに観濤処という巨石碑がありますね。往年の風景を想像すると楽しくなります。また、この辺りの話も、どうぞ詳しく教えて下さい。お願いします。
0 件のコメント:
コメントを投稿