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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2018年6月28日木曜日

私たち日本人にも大いに関係のある「移民を拒む権利はあるのか」という討論について

マイケル・サンデルの白熱教室2018が始まりましたね。第1回を録画して観ました。
第1回の討論テーマは「移民を拒む権利はあるのか」でした。

http://www4.nhk.or.jp/P2200/
https://www.dailymotion.com/video/x6mltw5

ヨーロッパやアメリカで現在一番の問題となっているのが移民や難民の問題です。
討論のはじめに移民と難民の定義の討論がありました。
そして難民は、戦争や迫害によって生命が脅かされ国を逃げ出した人々と定義され、また移民は、経済的理由や夢の実現のために他国に入国し居住する人々と定義されました。

難民については、参加者全員がすべての先進国には道義的責任があり難民を受け入れるべきと表明しました。しかし移民については二つに意見が分かれました。

受け入れるべきと表明した参加者の意見です。
・国境など無くして、すべての人々は自由にどこにでも行き来できなければならない、われわれはコスモポリタン(世界市民)なのだから
・先進国の冨は、過去に植民地政策などによって他国から略奪し築かれたもの、先進国の冨は、先進国固有の冨ではなく、すべての世界の人々が享受できるものでなければならない

次に受け入れないと表明した参加者の意見です。
・異文化の人々を入れることで、自国の文化が破壊されたり、文化の衝突により無用な争いが起こる。
・過度に移民を受け入れると経済活動や社会システムが破綻してしまう。

二十名ほどの参加者は、他の人の意見や考えを尊重しながら、率直に自分の意見を発言し討論されていました。彼らにとって白熱教室は、自分の考えや意見を見つめたり見直したり修正したりする貴重な時間となっている様でした。それが白熱教室の魅力なのだと思いました。

しかし、参加者の顔ぶれを見ると、はじめから偏りがあるように感じました。
参加者の中には、アフリカ系の人もイスラム教徒の人も、また移民の人もいましたが、すべての参加者はヨーロッパやアメリカの先進国の国民であり、高等教育を受け、自分の望む仕事や場所で生活を送っている人々でした。
いわば世界市民であり自由主義者であり、発言する力も教養も道義も兼ね備えた人たちでした。
討論も、移民や難民の立場では無く、移民や難民が押し寄せる先進国の中の教養と道義をわきまえた人たちの討論であって、どこか絵空事にも感じました。

翻って我が国日本ですが、
先進国の中で突出して難民受け入れの審査が厳しく、また移民政策が討論されることもありません。しかし、労働者不足という企業側の要請により人権を度外視した外国人労働者受入れ拡大策がどんどんと進行しつつあるのが現実です。それなのに全国民を巻き込んだ討論が起こる気配は一向にありません。

関連参照記事:
https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2018/06/post-52.php

討論が起こらないのは、日本社会がすっかり、実力主義、利己主義、拝金主義、そして権力迎合がまかりとおる息が詰まる社会へと変貌してしまったからだと思います。そしてだれもが息のできる社会を作るためのデモクラシー(民のための政治)はすっかり影を潜めてしまいました。
現在、そしてこれから起こるであろう社会問題は、すべてここに起因していると思います。

そんな社会に生きる一介の私たちが今できることは、
とりあえず今の自分の考えや意見を整理して、
発言することだと思います。
トンチンカンでもいいと思います。
そして他者の考えや意見に素直に謙虚に耳を傾ける。
そして討論する、話し合う。
そしてよりよい考えをみんなで導き出す、
事だと思います。
そして、そのみんなで導き出した考えで、少しでも社会が良くなる様に活動する。
その活動は、遣り甲斐と意義と誇りをきっと私たちに与えてくれる。
それが人をよりより方向に変えていく。
そして社会をよりよい方向に変えていく。

これもまた絵空事ですかね。
そう考えると、絵空事もはじめの一歩だと思えてきました。
白熱教室2018、今後の回も視聴して、頭のブラッシングをしたいと思います。

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