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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2015年7月21日火曜日

日本の真誠

先日、朝日新聞朝刊に
「京大有志の声明、共感広がる」というニュースが大きく取り上げられていました。

※自由と平和のための京大有志の会→声明書
http://www.kyotounivfreedom.com/manifesto/

以下、全文掲載させて頂きます
***
戦争は、防衛を名目に始まる。
戦争は、兵器産業に富をもたらす。
戦争は、すぐに制御が効かなくなる。

戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。
戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。
戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。

精神は、操作の対象物ではない。
生命は、誰かの持ち駒ではない。

海は、基地に押しつぶされてはならない。
空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。

血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、
知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。

学問は、戦争の武器ではない。
学問は、商売の道具ではない。
学問は、権力の下僕ではない。

生きる場所と考える自由を守り、創るために、
私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。
***

でもこれを読んで、共感というより不安な気持ちになりました。
その理由は、安倍自民党がごり押ししようとしている「平和安全法制」が、戦争を可能とする「戦争法」であるとして盛り上がってしまっているという事にです。
安倍自民党は「平和安全法制」は「戦争法」とは云っていません、これこそ重要ではないかと思います。
「平和安全法制」は、安倍晋三首相の政治主眼である積極的平和主義に基づき、日本を国際社会の平和と安定のための一層積極的な役割を果たせる国にするための法の整備と思われます。
世界は21世紀に入って、中国とロシアの新大国主義の脅威、そしてアフリカ、中東、ヨーロッパそして東アジアにおけるナショナリズム間の軋轢が顕著となってきました。そして2000年の始めまで世界の警察を自認していた米国は同盟国へ相応の負担を求めるようになりました。
そんな不安定な世界の中で、一国だけがまるで念仏でも唱えるように「戦争放棄」「戦争反対」と唱えても、平和を揺るがす脅威に立ち向かえないことは明らかです。そして、そこに日本国の矛盾があるように思います。
安倍自民党の憲法改正を視野に入れた法の整備にも一理はあります。
日本国憲法第9条には
「戦争放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」が謳われていますが、これでは主権国としての日本を自ら守る事ができません。
しかし、この日本の真誠を明らかにしなければならない時に、安倍自民党は、法制の技巧ばかりに終始して、法制や憲法改正の真誠についてまるで言及しなかったのです。
「仏作って魂入れず」
これでは、時の為政者の勝手な解釈で、何でもできてしまう恐れが生まれます。
反対者は、そこを捉えて国民の情緒に訴えやすいと「戦争法」と呼び名を変えて反対しているに過ぎないように思います。

日本の真誠をしっかりと確立して、内外に明らかにすることこそが重要であると思います。
私の思う真誠とは
「戦争をしない決意」です。
国と国との交戦は行わない、その為の外交努力を惜しまない、平和の種が世界中で芽吹き育つ様にあらゆる努力を惜しまない
という事です。
そしてもうひとつは
「自ら守る」です。
日本の平和を揺るがす脅威は多岐にわたります。テロや犯罪から国民の生命と安全、富を守らねばならないし、自然災害、人為的災害からも守らねばなりません。そのためには統制のとれたプロフェッショナルな防衛力が必ず必要です。

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