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『人権を尊重する』という事について

 ヨハネによる福音書9章41節 イエスは彼らに言われた。「もしあなた方が盲目であったなら、あなた方に罪は無かったでしょう。しかし、あなた方は今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなた方の罪は残るのです。」 イエスの時代、ユダヤ人社会では盲人の様な障害を背負って生まれた人た...

2025年9月29日月曜日

ガザの戦禍を生きる人々の姿

今朝7時のNHKニュースの中で、ガザの一人の少女のドキュメンタリー映像が放映されました。映像はガザの「戦禍を生きる人々」を被写体に活動を続ける女性写真家ディナさんが撮影したものです。映像に映る少女は、ザムザムさん16歳です。十ヶ月前にイスラエルの攻撃で家族を失い、現在は親戚に身を寄せながら破壊と殺戮から逃れるための避難生活を続けています。水も食料も欠乏し、衛生状態も最悪な中で、臨時に開かれることになった学校に通うザムザムさんの姿が映像の中に映っていました。臨時に開かれた学校には、各地の避難場所から集まってきた若者たちが集い、授業を真剣な眼差しで聴き入っていました。休憩時間には、少女たちは屈託のないおしゃべりの中で、互いの窮乏した避難生活の様子や将来の夢(ザムザムさんは将来医者になる夢を語っていました)を語り合っていました。大学入試は行われるのか、試験会場まで安全に辿り着くことはできるのか、、また別の場所に避難を強いられるのか等、今の日本の若者には想像すらできない様な話題で会話が繰り広げられていました。

撮影したディナさんは、今年の1月に経営するスタジオがイスラエルの攻撃で破壊されるまではフォトウェディングのカメラマンとして、戦禍の中でもガザの若者の幸せな瞬間を撮り続けていました。しかし今、空爆や砲撃、銃撃に晒されて自らも命の危険と隣り合わせの中で、「戦禍の中を生きる人々」を被写体とするドキュメンタリー映像作家として活動を続けています。

この様子は、NHK+で、一週間観る事もできます。

タイトル「緊迫したガザ 女性写真家が記録した人々の日常」

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2025092931034?playlist_id=4a77377f-aeee-45e9-9dfd-e36b87bc531b


また、10月3日(金)23:25-0:25放送予定の

BSスペシャル 「Blind Slot 見えない”隣人”」でも取り上げられる様です。

 

2025年9月23日火曜日

私たちの未来が幸いとなるために

関西テレビで放送されたドラマ「僕達はまだその星の校則を知らない」は、私のフィーリングに合ってとても心地よい、しかも見応えのあるドラマでした。主演の磯村勇斗さん、堀田真由さんのお二人だけでなく、ベテラン、若手と出演する全俳優の気持ちの入った演技にとても心を動かされました。

このドラマは、子供の頃から対人的孤立を自覚し、それがために学校でいじめにあっていた主人公が、法律が自分も守ってくれることを知って法律を学びはじめ、大人になって弁護士となり、そして、ある高等学校のスクールロイヤーに派遣されるところから始まりました、そして、生徒や教師が直面する様々な不条理な事柄に真摯に対応しながら、学校というものの意義や価値を見出していく物語でした。

最終回で主人公が、心を通じ合った生徒や教師を前にして語った言葉です。

『僕は学校が嫌いです。ヌメヌメ、ベトベト、多種多様な人類が無作為に集まる秩序のない場所。でも、そう、だからこそみんな、もがこうとするんです。少しでもわかり合いたくて行動する。言葉にする。それは輝いてもいるれど、ものすごく難しくて、繊細で、傷つくことの方がずっと多くて、僕達はまだ、この星でうまく生きていく術を、何も知らない。でも、それを探し続けることこそが、僕達の幸いなのかもしれない。』


同じフィールングを感じ取った本があります。日下公人氏の著書『日本人に読ませたい戦前の教科書』です。読みながら印象に残った箇所をメモに取りました。以下、その部分を書き出してみます。

『学んで面白く、印象に残るのは歴史上の人物の人となりだったり、それを示す逸話である。「何年に何が起きたか」よりも「偉人が何を考え、どう行動したか」のほうが、子どもの人格形成にとってよほど大切である。』

『今も昔も、国語はすべての勉強の中心だ。算数も歴史も理科も、どの教科も日本語で習うわけだから、国語力なしには勉強が進まない。漢字を読むことができなかったり、文章の理解が間違っていたのでは困る。概して国語の成績のいい子どもは、他の教科書も平均点以上であることが多いものだ。しかし、国語が大切だとしていたのは、テストでいい成績を取るためといったような、そんな単純な理由からではない。そこには、もっと本質的な理由がある。我々は、言葉を通じて他人の考えを理解し、自分の意見を伝える。自分と他人を区別しているのも言葉による。母国語である日本語は、コミュニケーションの大切な手段である。すなわち「どうして自分はそう考えたのか」を表明する方法、記述する体系を学ぶのが国語である。』

『昔の小学校では、なにも難しい表現や言い回しを覚えた訳ではない。社会に出て、職人の親方や会社の先輩から用事を言い付かったり、こちらがわからないことを質問したりという、当たり前の会話が出来る様になるために、情緒豊かな美しい日本語で書かれた教科書を通じて、様々な常識を国語として学んだのである。』

『現場の先生に大きな裁量があったとうことだ。先生という存在自体、尊敬すべき職業だったし、事実、とても尊敬されていたから、そういうことが可能だった。最近の学校は、利己的な要求をするモンスター・ペアレントに手を焼いているようだが、戦後教育を受けて育った親が、滅茶苦茶ないちゃもんを付けているようである。戦前にも手前勝手なことを要求する親はいただろうが、学校はそれをちゃんと追い払っていた。小学校であっても学校は、俗世間とは違う権威を毅然と持っていた。』


現在の日本社会は、「オレオレ詐欺」に代表される詐欺行為や脅しや強迫によって市井の人々が犯罪に巻き込まれ、しかも泣き寝入りするしかできない社会情勢に何年も前から陥っています。犯罪は海外にまで及ぶ広域なもので、しかも高度なITやAIが駆使されていて、一国の治安を与る警察機関だけでは、到底、犯罪組織の全貌に辿り着くことなど敵わない状況です。しかし、この問題を一歩踏み込んで考察すると、姿の見えない犯罪の黒幕の元で、手下となって犯罪を実行する人間もまた被害者であることが見えてきます。

彼らは安易に金儲けができるという勧誘の罠にはまって、姿の見えない犯罪の黒幕に精神も肉体も強迫されて、奴隷状態に落とされるのです。そして自ら善悪の判断ができず、強迫に抗うこともできないために、強迫され命令される犯罪行為を躊躇することもなく実行してしまうのです。そして、その中から、本当の犯罪者に変質していくものも生まれているかもしれません。


なぜ彼らは、自ら善悪の判断ができず、強迫に抗うことができないのか?

そこには、本来、事の善し悪しを判断して、強迫にも屈せず、善き行動を取ることができるように、修養や鍛錬を積む場であった筈の公教育の現場である学校が、その機能を失ってしまったことが原因であろうと考えます。

校内暴力に始まった学校現場の犯罪は、現在ではITやAIを駆使した更に陰湿さを増した虐め行為となって蔓延し、それは、低学年へと広がりを見せています。それだけではなく、生徒や学生を導く側である筈の教師や保護者という大人側にも広がりを見せています。そして、犯罪の被害者や学校に拠り所を失った生徒は、唯一の解決法とされる、その場から逃げることを要求されて、どこにも安心して教育が受けられる環境を用意されぬまま、自宅に逃れ引きこもりとなるのです。そして、学校教育で身に付けなければならない、この後の人生を生きていく術が何一つ身に付けられないまま大人になってしまうのです。


この状況を見直すためには、これ以上の新たな犯罪の奴隷を生み出さないために

・まず学校の秩序を取り戻すこと。

・教師が尊敬される職業にすること。

・教師が自らの裁量で教育ができる余地を権限として与えること。

・そして、学校が、生徒の安全な教育の拠り所のなること。

の早期実現を求めたいと思います。


それから、犯罪行為を犯した人を、単に前例主義で罰を与えるだけでなく、精神をケアしながら、善き行動ができる人に生まれ変わらせるために教育機会を与えて修養と鍛錬を積ますことを制度化することを求めたいと思います。

また、現在の犯罪行為を犯して捕まった人は、世間からの冷たい視線や疎外感によって、また罰が心を入れ替える修養や鍛錬となっていないがために再犯を犯しやすい状況になっているのではないかと思います。世間の、更生した人々を差別することなく受け入れる認識を醸成する努力も合わせて行うことが求められます。

この提案を実現するには、時間も予算も労力も、並大抵のものではないだろうと思います。でもこれは日本国の現在、そして将来の安全保障に関わる最重要な課題であると認識します。政治家を任ずる人々は、この国の未来のために、それこそ一身を賭けて取り組んでほしいと思います。 

2025年9月22日月曜日

日本が好きだ、日本人が大好きだ!  I love Japan and I love the Japanese people!

ユダヤ系フランス人である社会人類学者クロード・レヴィ=ストロース(1908年11月28日-2009年10月30日)は、日本人が育んできた日本文明を、他に比類ないほどの優れた文明であると評価しました。その理由として三つを挙げています。

一つ目は、西洋文明が破壊と創造を繰り返してきたのに対し、日本文明は異質なものであっても取り込み、それを完全に自らのモノとして消化した上で、より高次元のモノを創造する「編集能力」を持っているということです。それは、人間が本来その誰もが持っている筈の根源的な知性のことで、ストロースはこの知性を「ブリコラージュ」と名付けています。

二つ目は、世界の殆どの神話が歴史と明確な連続性を持っていないのに対し、日本の歴史だけは神話と固く、そして有機的に結びついているということです。日本人は当たり前のように、正月には神社に詣で、御盆には先祖の霊を迎えるという習慣を継承してきました。それは、目に見えない永遠の型、その精神、その魂こそが最も尊いことであると神代の時代から現代にまで血脈を断たれることなく継承できたことが理由であると述べています。

そして三つ目は、西洋の歴史がその始まりから終わりまで、血で血を洗う殺戮と支配と、そして征服のおぞましい記録でしかないのに対し、一万年という遙か太古の昔に縄文文明が興ってから調和を何よりも大切にしてきたことです。日本古来の宗教である神道の信仰や儀礼が、あらゆる排他的発想を拒み、あらゆる存在に霊性を認め、自然と超自然、人間の世界と動物や植物の世界、更には物質と生命とを結び合わせてきたからだと述べています。


私は、YouTubeで

99%が知らない「世界が嫉妬する日本人の本当の強さ」

https://www.youtube.com/watch?v=7V4W9D10UJI

という動画を観て、クロード・レヴィ=ストロースを知りました。そして、彼の著書『月の裏側-日本文化への視角』を今読みながら、私たち日本人は何ものであるのかを考えています。

動画は、現代の私たち日本人は、「ただただ波風を立てないためだけに、自分を押し殺し、言いたいことも言わず、その美しい顔から生気と、本来そこにあるべき輝きを失ってはいないか?」と問い掛けます。そして「本来の日本の文化は、自分を殺し、自分を犠牲にすることでは決してなかった。それは相手を殺さず、自分も殺さず、そのギリギリの、そして絶妙な境界線上で、共に生きるための、世界で最も高度で、そして洗練された生存のための芸術的な技術だった筈だ」と訴えかけてきます。


18世紀に産声を上げた近代民主主義(デモクラシー)は、全ての人々個人の人権を尊重すること、そして、宗教や思想、言論の自由を保障することの二つの理念を土台に、王や独裁者などの一握りの権力者に支配を委ねるのではなく、全ての国民が政治に責任を持ち、代表者を選出して運営を委ねるという制度です。

デモクラシーの誕生とその後の歩みは、西洋史で起こった二つの大革命に影響されたものではないかと私は思っています。

一つは16世紀に起こった宗教革命です。4世紀にローマ帝国の国教となったキリスト教はローマに法王庁を設置します。これがカトリックの始まりです。法王は徐々に絶大な権力と富を有することになり、11世紀の終わりには聖地を奪還するという名目で西洋の諸侯にイスラム世界への侵攻を号令します。十字軍の遠征です。そして十字軍遠征に参加するカトリック信徒の武人に免罪符を発行して、免罪符を求めたものは、遠征での罪なる行為を犯しても免罪されることを保証しました。また遠征を拒む者は信徒に一番厳しい罰である破門を言い渡しました。そして以後何度も繰り返された遠征が招いたものは、殺戮と破壊、そして略奪でした。権力者は土地を奪い、商人は貿易で更に富みました。

このような法王の歪んだ権威に異を唱えるものが現れました。彼らは法王の権威ではなく、聖書のテキストに信仰の礎を求めました。16世紀に起こった宗教革命です。

しかし、宗教革命は負の副産物を生み出しました。聖書を礎とした様々な解釈による宗教が起こり、各々の正当性、あるいは正義の名の下に、他の宗教を攻撃し、異なる信徒同士は憎しみ合い、遂には凄惨な殺戮が行われ、国家間の宗教戦争へと発展します。

しかし、為政者や思想家から、憎み合いでは国家の進歩や繁栄は望めないとし、寛容となること、また宗教や思想、言論の自由を啓蒙する者が現れ、それが一つ一つ法律で保証されることになって、憎み合いや戦争は影を潜めることになりました。また同事に、人文主義者が、人道や人権の尊重を啓蒙し、その二つの理念の啓蒙が、近代民主主義を発芽させたのだと思います。

二つ目は、18世紀に起こった産業革命です。15世紀に始まった大航海時代は、西洋での影響力の低下したカトリックが、未開地、新大陸への冒険に向かう野心家と手を組み、第三世界への進出を目指して行われました。そして野心家たちは大海原を越えて未開地、新大陸を侵略し、再び殺戮と破壊、そして略奪を行いました。彼らは未開人をカトリック教徒化し、土地は植民地にし、人々は奴隷にしました。そして略奪した資源や宝物、そして奴隷の労働力によって大規模農園や鉱物資源の発掘事業を興し、その富を本国に送致して、西洋の国は富み、為政者、商人、貿易商は、大いに富みました。このような超富裕層が産業革命では資本家として君臨し、科学技術の進歩が生み出すあらたな産業のオーナーやパトロンとして、無産階級である多くの労働者を厳しい労働環境のもとで苛酷な労働を強いました。

その反動として、社会主義や共産主義なる平等や互助を啓蒙する主義が興り、現代に続く資本主義との対立が始まりました。デモクラシーは、この人権や平等という人文主義と資本主義の均衡という問題を以後、抱えることになりました。


20世紀に起こった二度の世界大戦も、その後の世界の歴史を動かす起点となりました。

重工業の飛躍的な発展です。デモクラシーの国では、その恩恵は労働者階級にも広がって、労働者は中産階級となり、消費者となって、産業発展の両輪である需要と供給の需要の受け皿となり、産業は更に飛躍的発展を遂げました。

しかし、社会主義や共産主義の国では、指導者の計画のもとで産業が行われたこと、そして平等の名の下に、平板な製品が単調に生産され続けたことから、労働意欲も購買意欲も失われ産業は衰退の一途を辿ることになります。

しかし、20世紀の終わりに社会主義の盟主であったソ連が崩壊して、資本主義が勝利した以後、デモクラシーの国の人文主義と資本主義の均衡も崩れだし、資本主義偏重へと傾きました。そして第四次産業となるIT産業やAI産業の爆発的な発展は、人類史上まれにみるほどの貧富の差を生み出しました。IT産業やAI産業は膨大な情報を収集し、加工し、新たな情報を生産するという人の手が必要となる工程があるために、大量の優秀な労働力を必要とし、そのために自国ではまかない切れずに、労働移民や他国に製造拠点を必要としましたが、それが恩恵を受けない大多数の自国民の反感を買い、遂には扇動政治家が現れて、次々に自国ファーストなる主義を扇動し、自国民は熱狂し、現在では、デモクラシーの礎である全ての人々個人の人権を尊重すること、そして、宗教や思想、言論の自由を保障することの二つの理念が攻撃され、デモクラシーの存続が危ぶまれる事態となってきました。


「日本が好きだ、日本人が大好きだ!」


私が皆さんに気付いてほしいのは、

「日本が好きだ、日本人が大好きだ!」は、日本ファースト、あるいは日本人ファーストではないということです。

日本をアメリカと言い換えてみましょう。「アメリカが好きだ、アメリカ人だ大好きだ!」は、アメリカファースト、あるいはアメリカ人ファーストではないということです。

中国、ロシアに置き換えても同様です。

日本人が、アメリカ人が、中国人が、ロシア人が、世界中の人々が、主語は全ての人です。全ての人が「日本が好きだ、日本人だ大好きだ!」となれば幸いです。

全ての人が「アメリカが好きだ、アメリカ人が大好きだ!」となれば幸いです。

全ての人が「すべての国が好きだ、すべての国の人が大好きだ!」となれば幸いです。

しかし、この様にならなければ、クロード・レヴィ=ストロースが西洋文明に悲嘆して残した言葉「世界は人間なしに終わるだろう」が現実のものとなることでしょう。

それを阻止する為にも、ストロースが日本文明に見出した、他者との調和と共生、そして他者への尊重と尊敬に、私たち日本人が立ち返り、この理念を世界の人々に啓蒙し、共感と実践の輪をを広げていくしかないのではないかと思います。

2025年9月10日水曜日

ウルの日常

 

ウル 七歳、

一日一度の自由散歩が、ストレス解消になっています。

自由散歩といっても、家の庭か自宅周辺を散歩する程度で

蝶をハントして遊んだり、野鳥を眺めたりしています

でも、天敵はカラスで、「カーッカーッ」と聞こえたら

一目散に屋内に飛び込んできます。

臆病なところも 可愛いです。



2025年8月18日月曜日

締めは 新生軒

 昨日は、久しぶりに姫路の町をぶらぶら歩いてきました。

目的は、イーグレひめじで開催中の、『生誕百年記念 桂米朝まつり特別展』を覗きに行く事でした。米朝さんは1925年生まれで私の母と同い年、そして米朝さんは10年前89歳の時にお亡くなりになられました。

母の初盆も終わり、少し開放感を味わいたいと家族には「ちょっと出かけてくる」とだけ伝え、スマホはカバンにしまいこんで一人歩いて出かけました。

高温が毎年のように更新される近年の夏の暑さですが、盆を過ぎた昨日は少し薄雲が日差しを和らげてくれました。そして夕方になると姫路の空には山水画の様な墨を足らしたような連なる重い雲が覆い始めまして、夕立を心配しながらの姫ブラとなりました。

最初に訪れたのは、二階町で甥っ子大輔が友だちと開いた食品ロス削減ショップ「エコイート(ecoeat)」です。店の営業で忙しい中、お祖母さんの法要に駆け付けてくれたことのお礼を直接言いたかったのです。「エコイート」は食品流通の中で、まだ食べられるのに廃棄されていたいわゆる食品ロスとなっていた食品を消費者である私たちに気付かせ、食品ロスを削減するために消費行動を促す活動を行っている店です。今回は徒歩で先の予定がありましたので何も購入しませんでしたが、次回訪問時には、食品油や缶詰など購入したいと思います。

https://snhllc.wordpress.com/

そして甥っ子と別れ、イーグレひめじを目指します。

特別展はB1の展示室で行われていました。米朝さんの年表がパネル展示され、年代で区切られた展示では、手紙や写真そして貴重品を間近で見ることができました。一角にテレビが据えられ、米朝さんの落語DVDが映されていました。私は「茶漬け間男」という艶話と「夏の医者」をしばし楽しみました。語り口と仕草、目線、そして絶妙な間によって、私は目の前で実際に滑稽な営みを垣間見ている、そんな心持ちになって終始ニヤニヤしならが観賞しました。特別展は盛況でしたが、いかせん、私と同輩以上がほとんどでしたので、視聴用の椅子、用意してくれてたらもっと良かったと思いました。

https://himeji-culture.jp/hall_event/18844

そしてイーグレを後にし、北へ進み、城の東側に位置する姫路美術館を目指しました。特別展示などはありませんでしたが常設展示の絵画をゆっくりと鑑賞し、無料展示では、500年前の日本刀の展示に心引かれ、また書写円教寺や姫路城内を舞台にした能舞踊という普段見慣れない映像を楽しみました。高細緻な映像で繰り広げられる特別な舞台での能だけに、非常に厳かな気分を味わいました。

そうこうしている間に閉館の時間が近づき、慌てて外に出ると、空が墨絵の雲に覆われていました。雨具を持ってこなかったので急ぎ足でアーケードのある繁華街を目指しました。そして山陽電車に乗って帰路に着く前に、姫路ぶらぶらの締めと勝手に思っている新生軒を目指しました。何年かぶりの新生軒の暖簾を潜ると、若いご夫婦と思われる男女が店を切り盛りされていました。小学生の低学年からここのワンタン麺を食べ継いできましたが、相変わらずの済んだ潮味のスープを堪能しました。でも少し変化がありました。トッピングの薄切り豚が、以前は気持ち入っているという感じだったのが、大きめの豚が4枚も入っていました。満足したついでに以前から気になっていた質問を、カウンター越しにご亭主に尋ねてみました。「新生軒は家族経営ですか」「随分前になりますがおじいさん三人で切り盛りされていましたね」とか尋ねますと、ご亭主は快く返答をしてくれました。

「新生軒は創業70年近くなります。三代目までは家族経営でしたが、四代目の私は外から店を継ぎました」という話でした。

後で調べてみると、創業は1960年(昭和35年)でした。私と同輩でした。どうやら親近感ははそう云う理由もあった様です。

そして姫ブラは、結局雨に当たらず終えることができました。めでたしめでたし

https://www.himeji-cci.or.jp/back_number/pdf/manpuku_202107.pdf

2025年8月15日金曜日

ChatGPTとの対話:人権は保障される筈なのに、何故に搾取されるのか?

ChatGPTに質問しました。

「人権は保障される筈なのに、何故に搾取されるのか?」

この質問に対するChatGPTの回答です。


とても本質的で鋭い問いです。

人権が「保障されているはず」なのに「搾取される」という現象は、現代社会の矛盾や不平等の根源に関わっています。この矛盾が生じる理由は、いくつかの構造的・歴史的・政治的要因が複雑に絡み合っています。以下に主な理由を挙げます。

1. 制度と現実のギャップ

憲法や国際条約などで人権は明文化されていますが、それが実際にどこまで守られているかは別問題です。制度上は保障されていても、現場レベルでは無視・軽視されていることが多い。

・例:労働基準法が存在しても、長時間労働や過労死は依然として存在。

・法律違反が「黙認」されることも多く、弱者が声を上げにくい構造になっている。

2. 権力と経済構造による搾取

搾取は単なる個人の問題ではなく、構造的な権力関係から生じます。

・資本主義社会においては、労働者は労働力を売って生活する。企業はそこから利益を最大化しようとするため、労働者のコスト(賃金)を抑えようとする。

・この結果、労働者の人権(適切な休息、生活賃金など)がないがしろにされやすくなる。

3. 「自己責任」論と社会の無関心

「貧しいのは本人の努力不足」というような自己責任論が浸透すると、搾取されている人々への共感や支援が弱くなり、構造的な問題が見えづらくなる。

4. 国や社会の優先順位

政治が経済成長や企業の利益を最優先する場合、人権の保護は後回しにされやすい。特に移民、派遣労働者、女性、LGBTQ+などのマイノリティは後回しにされがち。

5. 声を上げにくい社会文化

日本を含め、多くの国では「波風を立てない」「我慢する」文化が根強く、個人が権利を主張しにくい。その沈黙が搾取を常態化させる温床になる。

まとめ:なぜ搾取されるのか?

人権は理念であっても、権力・経済・文化がそれを十分に支えなければ、現実では保障されない。

だからこそ、制度を守らせるために監視・声を上げる市民社会の力が不可欠です。


ご希望であれば、「具体的な事例」や「搾取に対する対抗策」なども一緒に考えることができます。どこまで掘り下げたいですか?


継続する質問

「何故に人権侵害は起こるのか?」

の質問に対するChatGPTの回答です。


また深い問いですね。「なぜ人権侵害は起こるのか?」という問いは、歴史・社会・心理・経済・政治の全てにまたがる問題です。簡単に答えられる問いではありませんが、以下のような主な原因が考えられます。

根本的な理由:なぜ人権侵害は起こるのか?

1. 権力の乱用・集中

権力を持つ者(国家・企業・組織・個人)が、自己の利益や支配のために他者の人権を軽視・無視する。

・例:独裁政権による言論弾圧、企業による労働者の酷使

・権力の「監視」「制限」が機能していない場合、暴走が起こる

「絶対的な権力は絶対に腐敗する」(Acton卿)

2. 差別・偏見・無知

「自分たちと違う存在」を排除しようとする心理が、人権侵害を正当化してしまう。

・例:人種差別、性差別、障害者差別、外国人排斥、LGBTQ+差別など

・「無知」や「教育不足」により、他者の権利が見えなくなる

差別は構造の中にも、日常の言葉の中にも存在する。

3. 経済的・政治的な利益追求

国家や企業が「効率」や「利益」を最優先する中で、人権が犠牲になる。

・例:低賃金労働、児童労働、強制労働、過労死

・人を「資源」や「コスト」として扱う価値観が広まると、人権は簡単に後回しになる

4. 戦争・紛争・国家の暴力

武力行使や戦争状態では、人権は大規模に破壊されやすい。

・例:難民問題、民族浄化、拷問、強制失踪

・非常時という口実で、国際人権基準が踏みにじられることも多い

5. 「その他大勢化」されること(非人間化)

人権侵害は、「相手を人間と見なさないこと」から始まる。

・例:スラムや移民を「問題」としか見ないメディア報道

・相手の苦しみや尊厳を感じなくなると、侵害は簡単に起こる

6. 社会の無関心・沈黙

人権侵害が「見えない」「見て見ぬふり」されることで、当事者は孤立し、侵害は続く。

・「自分には関係ない」

・「声を上げたら損する」

・この沈黙が、加害を可能にする。

要するに…

人権侵害は、権力・差別・利害・無知・恐れ・無関心が組み合わさって起こる。

逆に言えば、「対抗するには、教育・連帯・透明性・監視・勇気」が必要になります。


必要であれば、具体的な人権侵害の事例(日本・世界)や、そこから立ち上がった人々の物語なども紹介できます。

どこまで深掘りしてみたいですか?


継続する質問

「人権を遵守するための方策は?」

の質問に対するChatGPTの回答です。


とても重要な問いです。「人権を遵守するための方策」とは、人権を理念にとどめず、現実に機能させるための仕組みや行動を指します。以下に、制度的・社会的・個人的なレベルに分けて、具体的な方策を示します。

 1. 制度・政策レベルでの方策(国家・国際社会)

法制度の整備と実施

・憲法・法律での人権の明文化と適用

  表現の自由、差別の禁止、労働の権利などを保障

・違反者への制裁を実効性ある形で行う(例:ヘイトスピーチ禁止法)

国際人権条約の批准と履行

・国際連合(国連)人権条約(自由権規約、社会権規約など)への参加

・国際人権機関との協力

  国連人権理事会の勧告受け入れなど

監視機関の設置・強化

・独立した人権委員会やオンブズマン制度

・警察・政治権力からの独立性が鍵

 2. 社会・教育レベルでの方策

人権教育の徹底

・学校教育での人権教育(道徳・社会科・公民)

・教科書で歴史的な人権侵害(戦争・差別)に正面から向き合う

・市民教育・成人教育としての人権講座や研修の実施

メディアと情報の健全化

・偏見や差別を助長する報道を批判的に見つめるリテラシー教育

・報道機関自身のガイドライン整備

NGO・市民団体の支援

・人権侵害を告発し、支援活動を行う団体を支援

・市民が連帯して声を上げられる土壌作り

3. 組織・企業レベルでの方策

企業の社会的責任(CSR)

・労働環境の整備、ハラスメント対策、多様性の尊重

・国連「ビジネスと人権に関する指導原則(ラギー原則)」の実施

ハラスメント防止制度

・通報制度や第三者委員会を設ける

・労働者・利用者の人権を守る社内研修

4. 個人レベルでの方策(私たちにできること)

人権感覚を養う

・自分の中の偏見や無意識の差別に気づくこと

・他者の立場に立つ想像力(Empathy)を育てる

声を上げる・支える

・人権侵害を見たときに「黙らない」

・被害者を孤立させない連帯

情報を学び、拡散する

・信頼できる人権情報を得て、周囲に共有する

・偽情報や差別的言説に無自覚に加担しない

まとめ:人権を守るためのカギは?

「仕組み」と「意識」の両方が必要。

法制度があっても、人が動かなければ形骸化する。

人が善意でも、制度がなければ守れない。


ご希望であれば、「日本における人権遵守の課題と展望」や「現場での具体策(学校・職場・家庭)」についても掘り下げられます。

どの角度からさらに考えてみたいですか? 


非常に深いまとめでした。これも参考に考察を深めていきたいと思います。

そして、こう云うChatGPTの活用は有効だと実感しました。

これからも引き続きCgatGPTと対話したいと思います。

2025年7月28日月曜日

心に残るイチローのアメリカ野球殿堂入りスピーチ

 今朝、日本時間朝6時過ぎから、ニューヨーク州クーパーズ・タウンで行われるアメリカ野球殿堂入りのセレモニーで、日本出身者として初の殿堂入りとなったイチローのスピーチがLIVEで放送されました。

20分近いスピーチは、とても愛情とユーモアと、そして思慮に富んだスピーチで非常に感動しました。そのスピーチの中で、特に感銘を受けた箇所を、引用させて頂きます。


https://www.youtube.com/watch?v=HWAsHtxuSoA


子どもの頃、私の夢は常に、プロ野球選手になることでした。

小学6年生の時、それについて作文まで書きました。

もし今の知識を持って、その作文を書き直すことができるなら、

「夢」の代わりに「目標」という言葉を使うでしょう。

夢は必ずしも現実的ではありませんが、

目標はそれに到達する方法を深く考えれば、可能になり得ます。

夢を見ることは楽しいですが、目標は困難で挑戦的です。

「何かもしたい」と言うだけでは十分ではありません。

それについて本気なら、それを達成するために何が必要かを真剣に考えなければなりません。

私は書きました。

プロ野球選手になるためには、日々の練習と準備が重要だと。

目標を設定し続けるうちに、私は理解するようになりました。

一貫性が達成の基盤になるということを。

私は若い選手たちに夢を見て、大きな夢を見ることを勧めますが、

同事に夢と目標の違いを理解することも勧めています。

夢を目標にするためには、それを達成するために何が重要かを正直に考えなければなりません。