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否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる戦い

『彼の自由を拒む判決です。 表現の自由を妨げる判決と言う人もいる でもそうではない。 私が闘ったのは 悪用する者からその自由を守るためです。 何でも述べる自由はあっても 嘘と説明責任の放棄だけは許されないのです。 意見は多種多様ですが 否定できない事柄があるのです...

2025年11月23日日曜日

現在のピッツァ作りのレパートリー

 コロナ禍で始めたピッツァ作りですが、最近ようやくコツというものが掴めてきました。焼成は自宅のガスコンロで行う為に、石窯の様な400度以上の高熱で1~2分でふっくらとしかも香ばしく焼き上げるという技は使えませんが、それでも家族や友だちから「オイシイ」と好評をもらえるようになりました。その美味しそうに食べてくれる様子を見たくて、これからもピッツァ作りを続けていこうと思っています。

昨日、新しいソースを考案し、レパートリーが4品になりました。

一つ目は、ナポリピッツァ王道の《マルゲリータ》です。

ソースの具は、トマトペースト、ニンニクのペーストと塩、オリーブオイルを少々。トッピングは、モッツァレッラ、パルミジャーノ・レッジャーノ、オリーブオイル、バジリコです。

二つ目は、牛ミンチをトマトペーストと赤ワインで煮込んだ《ボロネーゼ風ピッツァ》です。

ソースの具は、牛ミンチ、玉ねぎと人参を炒めたソフリット、赤ワイン、トマトペースト、塩(ミンチ量の1%)。トッピングは、モッツァレッラ、パルミジャーノ・レッジャーノ、オリーブオイル、バジリコ、黒胡椒です。今回は追加でミニトマトを焼成後にトッピングしています。

三つ目は、奈義町のピッツァリア『PIZZERIA La gita』で初めて食べて、その美味しさが忘れられずに試行錯誤して作っている《ブラッチョ・ディ・フェッロ(ポパイの鉄の腕という名のナポリピッツァ)》です。

ソースの具は、ほうれん草のペースト、リコッタとオリーブオイルを少々。トッピングは、モッツァレッラ、パルミジャーノ・レッジャーノ、ベーコン、オリーブオイル、バジリコ、黒胡椒です。

四つ目が新作の、エビとアサリとからし菜のペーストとカッテージチーズで作ったソースを乗せた《海鮮ピッツァ》です。

ソースの具は、エビとアサリのミンチ、カッテージチーズ、ニンニクペーストと塩を少々。トッピングは、モッツァレッラ、パルミジャーノ・レッジャーノ、オリーブオイル、バジリコです。

あと、《カルツォーネ》も作ってみました。

グリルの中で、勢いよく膨らむので、少し焦げ目が付きすぎましたが、皮がカリッと焼き上がり、とても美味しかったです。


ではあたらめて、現在の私の《ピッツァ作りの手順》を記録しておきます。

因みに、生地作りには、小麦粉は「春よ恋」、そしてイーストは「白神こだま酵母ドライG」を使っています。

工程1:最初の工程は、ポーリッシュ法での発酵種作りです。小麦粉、水ともに250gとドライG1パック5gを保存容器に入れて軽く混ぜあわせ、フタをして室温でしばらく発酵を促してから、冷蔵庫で1~2日寝かせます。室温での発酵時間は、25度以下であれば6~8時間、25度以上であれば1~2時間です。

工程2:次に生地作りです。大きめのボウルに、発酵種と、残りの小麦粉と水(水の全量は、小麦粉の全量に対して65%の分量)、そして食塩(小麦粉の全量に対して2%の分量)を加えて、約20分間、グルテンを生成するために、捏ねる、パンチするを繰り返します。ネバネバ感が無くなって、艶が出て伸びやかな生地になると完成です。そうしたら表面をオリーブオイルでコーティングし、湿らせたタオルで覆い、1~2時間寝かせます。

工程3:一人前210gにカットします。捏ね上げた生地をスケッパーで210gにカットして、丸めて保存容器に入れフタをします。小麦粉1kgで、8つ丸めた生地が出来ます。

保存容器に入れた生地は、室温でしばらく発酵を促してから、冷蔵庫や冷凍庫で保存します。室温での発酵時間は、25度以下であれば6~8時間、25度以上であれば1~2時間です。そして冷蔵庫での保存ですが、冷蔵庫なら一週間以内、冷凍庫なら一ヶ月以内、美味しく食べられました。

工程4:いよいよ、焼成の準備です。まず冷蔵庫保存した生地を解凍します。冷凍庫保存の生地は、まず冷蔵庫に移して1~2日ゆっくり解凍します。そして冷蔵庫保存の生地は、焼成の前に1~2時間室温に馴染ませます。

工程5:室温に馴染ませた生地を、焼成のサイズに丸く伸ばします。乾いた小麦粉を両面に附着させてから、平台の上で、中心から外側に押すように丸く伸ばしていきます。手のひらサイズまで伸ばした後、遠心力を使って、中心部分を薄く、外縁部にコルニチィーネを形成するように伸ばして、直径26㎝サイズの生地にします。

工程6:熱したフライパンに伸ばした生地を乗せ、コルニチィーネとなる部分にソースが掛からないように、その他の全体にまんべんなくソースを塗り、ガスコンロを強火にしてからトッピングを加えます。ソースやオリーブオイルが沸々しだし、生地の裏面全体に薄ら焦げ目がつき始めたら、コンロからフライパンを下ろし、熱しておいたグリルに焼成途中のピッツァを移し、3~4分ほどグリルで焼成します。4分以上だとコルニチィーネに焦げ目が付きます。焦げ目は香ばしい香りをピィツァにまとわせてくれますが、3分でも中までしっかり熱が通っています。

完成:グリルから出してお皿に乗せれば、ナポリ風ピッツァの出来上がりです。

2025年11月21日金曜日

ザイアス博士

 三年前の深秋から、髭を伸ばすことにしました。但し、ひげ面の寿命は早春までとしています。今年も11月に入って伸ばし始めています。なかなかサンタクロースの様にはなれません。但、嬉しいこともありました。ひげ面の頃に、志方町にあるとっても美味しいアメリカン風なハンバーガーが食べられるROUTE65を訪問すると、ご主人から「宮崎駿さんに似てる」と言われ、以後、何となく顔を覚えて頂いたことです。また、この冬も、美味しいハンバーガー頂きにROUTE65に行かないと、と思っています。

そんな先日のある日の事、いつものように早朝に目覚め、目覚めの歯磨きを行っていて、ふと鏡を覗くと、そこに映る顔は、どう見ても宮崎駿監督ではありません。目をこらして眺めていると、ハッと思い出しました。チャールトン・ヘストンが主演した1968年の映画「猿の惑星」に登場するザイアス博士のお顔をです……


「お互いさまの意識」で行きましょう!

 仏教学者ひろさちやさん(本名:増原良彦さん 1936/7/27-2022/4/7)が著された随筆集「世捨て人のすすめ」の中に、「お互いさまの意識」というお話しがあります。

ひろさちやさんは昔、奥さんとヨルダンの首都アンマンでタクシーに乗った時、妻は後部座席に座れたのに、私は運転手から「お前はここだ」と助手席に座るよう促され助手席に座らされた。何故? と訊ねても、言葉が通じず理由を理解することが出来なかったけれど、後で現地に滞在する日本人の商社マンから、その理由を教わりました。

「要するに、友だち感覚なんですよ……」

われわれ日本人は、乗客はお客さんだと思っています。そうすると、タクシーの運転手は使用人か、下手をすると召使いになってしまいます。「それはおかしい」というのがヨルダン人の考え方なんです。人間はみんな友だち・仲間なんだ。だからタクシーに乗れば、友だちに車を乗せてもらい、友だちが運転してくれるのだ。そういう意識からできた風習のようです。もちろん、運転手は料金を請求しますよ。それはそれ、これはこれ、なんですね。

私たち日本人は、乗客が運転手を雇っている気でいますが、それよりはヨルダン人の考え方の方がよほど美しいと思います。

そして、ひろさちやさんは、昔は日本人も美しい心、『お互いさま意識(売り手も買い手もみんなが、お互いが同じ立場にあるという意識)』を持っていた。けれども現在の日本人は、『消費者は王様』という意識に囚われて、美しい心を失ってしまった。何故に失ったか? わたしたちみんなが『拝金主義者』になったからだと思います、と理由を述べられた上で、でも、これは馬鹿げた考え、間違った考えであると気付くことが出来れば、もう少しはマシな日本になりそうです、と締めくくられていました。


先日、東京都教育委員会から学校向け保護者対応ガイドラインの骨子案を公表した、とニュースが伝えた内容には、呆れ返るほどの驚きがありました。

東京都が4月、顧客の暴言や不当な要求から就業者を守るカスタマーハラスメント(顧客という立場で行う嫌がらせ)防止条例を施行。都の教育委員会は、保護者による教員への不当要求もカスタマーハラスメント防止条例が防止を目的とする行為に該当すると定め、保護者の暴言や中傷、理不尽な欲求から教員を守るガイドラインの骨子案を公表したという内容です。


日本では、何か問題が生じれば「とりあえず頭を下げて謝罪する」が礼儀で、そこから問題解決の話し合いが始まります。だから、訴えられた方に非がなくても、謝罪から始まるために、非があっても先に訴えた方が勝ちと云う本末転倒のことが起こってしまいます。そして、謝罪する方は、上司が店が会社が、「まず謝罪しなさい」と指示するから、とりあえず謝る、ひたすら謝るのです。問題を解決するのは自分ではないのです。理不尽ですね、うっぷんばかりが溜まります。そしてそのうっぷんは、どこかで顧客の立場に変わった自分が、見ず知らずの誰かに同じ行為を行って晴らすのです。まるで不幸の手紙というか、悪意のたすき渡しというか、非常に無意味で虚しい愚かしい行為だと思います。


そもそも、学校、義務教育を受けるための学校や、将来に何ものかになるために知識や技術を学ぶために自ら入った学校の、生徒や学生、そしてその保護者は、顧客でしょうか? 顧客と見なすのは正しいことなのでしょうか? こんな初歩的な当たり前過ぎて考えもしなかった事を、賢い頭でひねり出し、顧客と認定してしまう。

私たち日本の世の価値観というものが、私たちの子供の頃から、大きく乖離してしまった事の、一現象なのでしょうね。国民を導く、指導する役割を担う人たちまでも、ひろさちやさんが指摘された「消費者は王様」意識に毒されてしまっているんか、と天を仰いでしまいます。

昔のヨルダンの人が持っていた「友だち感覚」は、ちょっとニッポン的な礼節の感覚では行き過ぎの感はありますね。教師や師匠、或いは公共の福祉・教育に携わる人たちへは日頃から感謝の気持ちを忘れずに、相応の礼儀で接するのが、心美しい日本人の取るべき行動だと思います。そして保護者は、互いに社会で役割を分担している同士、互いに助け合っている同士、という「お互いさまの意識」を持てば、思い出せば、そして我が身に照らせば、教師に暴言を吐いたり中傷したり理不尽な欲求をすることが、どんなに情けないことか惨めなことかを心から感じ取ることができるのではないかと思います。

そうでなければ、どこからか破れ傘刀舟がやって来て『許せねぇ! てめえら人間じゃねえや! 叩っ斬ってやる!』とお仕置きされる、かもしれませんよ。


2025年11月20日木曜日

中国政府に対して、一介の日本人からの意見です。

 NHKで今朝放送された海外ニュース番組の中で、香港のニュース番組が伝える内容には、笑いが込み上げてくるほどの驚愕を覚えました。

香港のニュースは、 11月7日に衆議院予算委員会の質疑の中で、高市早苗首相が岡田克也立憲民主党衆議院議員からの質問に答えた答弁の内容の中で、高市首相がまだ首相ではなかった一年前の総裁選選挙で述べた『中国による台湾の海上封鎖が発生した場合を問われて、存立危機事態になるかもしれないと発言された』ことについて、「(当時)どういう場合に存立危機事態になるとお考えだったんですか」という質疑に対する答弁内容を、歪曲するだけでなく日本を貶める虚偽を交えて伝えていました。そして中国の情報戦に対して鈍重な日本政府を尻目に、中国政府は中国国民に対して、また国連加盟国に対して矢継ぎ早に日本を貶める行動を行う様子を知りました。

中国政府は、十億の中国人に対して、日本では中国人が暴力を受けているなどというデマを報道し、渡航を中止するように勧告を行うと同事に、日本との貿易を停止する措置を執り始めています。また世界に向けては、中国の国連大使が国連加盟国に対して「日本が再び軍国化に動き出した」と80年前の映像を利用しながら日本の暴力性・残虐性を訴えていました。

ニュースの中では、日本は国連(正確にはUN)に軍事力を持つことも集団的自衛権も禁止されている(これは敗戦後のアメリカ軍を中心とするUNに占領されていた時代の話です。日本は1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効したことで主権を取り戻し独立国家となりました。)と伝えられ、また『日本の軍国化』を脅威と感じるかという国連加盟国に対して行ったとされるアンケートで90%を超える同意があったとも伝えていました。この様な虚偽のニュースを、香港の公共メディアが香港人に報道していたのです。


私は日本のメディアが切り取って報道した高市首相の『台湾有事は日本の存立危機事態になり得る』という発言には、どちらかと云えば賛同していました。というか、『存立危機事態』を勝手に、小松左京が「日本沈没」で描いた様な、大災害を含めて、当然に侵略戦争も含めて、日本が一国として立ち行かなくなる事態、一国ではなす術もなくなった事態と解釈をしていました。しかし、存続危機事態を設定した『武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律』が《定義》第二条で定義した存立危機事態は、

『我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態をいう。』

と書かれています。最初の一節の文と、その後の文の間に、とてつもない空白があるように感じます。いや、あります。その空白を埋める文は、それぞれの思想や信条によって大きく異なるだとうと想像します。

そしてそれに続く、《武力攻撃事態等及び存立危機事態への対処に関する基本理念》第三条では、

『存立危機事態においては、存立危機武力攻撃を排除しつつ、その速やかな終結を図らなければならない。ただし、存立危機武力攻撃を排除するに当たっては、武力の行使は、事態に応じ合理的に必要と判断される限度においてなされなければならない。』

こちらも、武力行使に対する制限があるのかないのか、あるとしてもそれはどこなのか、これも、それぞれの思想や信条によって大きく異なるだとうと想像します。


私が、11月7日の質疑・答弁の中で特に気になった箇所を下記に書き出してみます。

※参照したWEBページです。

武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律

https://laws.e-gov.go.jp/law/415AC0000000079

11/7 予算委員会質疑(総理の外交基本姿勢、存立危機事態、在日米軍基地からの直接出撃、川崎重工事件)

https://www.katsuya.net/topics/article-10543.html


〇岡田委員

『高市総理、一年前の総裁選挙でこう述べておられるんですよ。中国による台湾の海上封鎖が発生した場合を問われて、存立危機事態になるかもしれないと発言されました。

私も、絶対ないと言うつもりはないんです。だけれども、これはどういう場合に存立危機事態になるというふうにお考えだったんですか。』

〇高市内閣総理大臣

『台湾をめぐる問題というのは、対話により平和的に解決することを期待するというのが従来からの一貫した立場でございます。

その上で、一般論として申し上げますけれども、今、岡田委員も、絶対にないとは言えないとおっしゃっておられました。いかなる事態が存立危機 事態に該当するかというのは、実際にその発生した事態の個別具体的な状況に即して、全ての情報を総合して判断しなければならないと考えております。』


〇岡田委員

『どういう場合に存立危機事態になるのかということをお聞きしたいんですが』

〇高市内閣総理大臣

『これはやはり他国に、台湾でしたら他の地域と申し上げた方がいいかもしれませんが、あのときはたしか台湾有事に関する議論であったと思います。台湾に対して武力攻撃が発生する。海上封鎖というのも、戦艦で行い、そしてまた他の手段も合わせて対応した場合には武力行使が生じ得る話でございます。

例えば、その海上封鎖を解くために米軍が来援をする、それを防ぐために何らかのほかの武力行使が行われる、こういった事態も想定されることでございますので、そのときに生じた事態、いかなる事態が生じたかということの情報を総合的に判断しなければならないと思っております。』


〇岡田委員

『台湾有事は日本有事。ここで有事ということの意味がよく分かりませんけれども、何か非常に軽々しく私は問題を扱っているんじゃないかというふうに思うんですね。』

〇高市内閣総理大臣

『最悪の事態を想定しておくということは非常に重要だと思います。

先ほど有事という言葉がございました。それはいろいろな形がありましょう。例えば、台湾を完全に中国北京政府の支配下に置くようなことのためにどういう手段を使うか。それは単なるシーレーンの封鎖であるかもしれないし、武力行使であるかもしれないし、それから偽情報、サイバープロパガンダであるかもしれないし、それはいろいろなケースが考えられると思いますよ。だけれども、それが戦艦を使って、そして武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になり得るケースであると私は考えます。』

高市首相は、ただの一介の政治家であればよかったと思います。この日本では、どんな信条でも、自由に述べる権利を有しているからです。ただ、今は首相です。首相は、外から見れば一国の元首です。元首の言葉は、日本の意志と取られます。自分の信条など心の内に収めて、決して表に出してはいけないと思います。それが、国民の国益に反するならば尚更です。日本の首相、日本の政府が取るべき行動は、ただ一つです。この東アジアで紛争を起こさないことです。それが、日本国民の利益に繋がり、近隣諸国の国民の利益にも繋がります。何より、命を失う危機は、絶対に避けるべきです。そして、仮に想像のもとに脅威を国民に訴えるにしても、固有の国名を出すのは、絶対にしてはならないと思います。この中国を例えた発言は、誠意を持って撤回すべきだと思います。


そして、私が一番同意したのは、それは岡田議員の次の発言です。

『有事がもし発生した場合に、例えば近隣の国々、非常に私たちにとって大事な国々です、あるいは地域も含めてですね、そういうときに大量の避難民が発生する、恐らく数十万、数百万の単位で発生するということになります。それを無事に移動させて日本が引き取るということも極めて重要だと思うんですね。ウクライナ危機のときに、ドイツを始めとするヨーロッパの国々が避難民をしっかりと受け止めたということですが、同じようなことが起こる可能性がある。そのとき に日本自身が武力行使をしていたら、そういう活動にも極めて差し障りが出てくる可能性が高いですよね。

そういうこともトータル含めて、やはり存立危機事態の認定、武力の行使ということは慎重に考えていかなければいけないと私は思うんです』


以下は、私自身の考えです。

私は、台湾を一つの独立したデモクラシー国家であると認識しています。朝鮮半島にある韓国と同様、沖縄諸島から目と鼻の先にある台湾は、日本にとって歴史的にも深い繋がりがあって、現在では同じ東アジアのデモクラシー国家として、あらゆる面で助け合い協力し合える真の友人の様な国家同士になれればとても嬉しいなと思っています。それは安全保障の面でも同様です。しかし、安全保障の面を考えるなら、現在の東アジアで最大の軍事力と経済力を保持しているのは中国です。中国を抜きにして、この東アジアの安定も平和もそして発展も考えることなど出来ません。この地球上で最大の軍事力と経済力を保持しているのはアメリカです。日本、韓国は安全保障の条約でアメリカと深く結びついているために、中国は日本、韓国を脅かす事は出来ても、現在のところは武力を使って日本、韓国を攻撃することは、想像しても、現実には起こらないと思います。では台湾はといえば、台湾(中華民国)はそもそも国連の創設メンバーであり、国連安保理の常任理事国の座についていました。それが、1971年10月25日に中華人民共和国が長年訴えてきた中国代表権問題の議決が行われ、中華人民共和国が国連安保理の常任理事国と見なされた。そして蒋介石が国連から追放され、これに抗議する形で、中華民国は国連を脱退したと事典には書かれています。台湾(中華民国)も、国連(UN)に翻弄された歴史を持っているんですね。まだ何も学んでいないので明確な考えを述べることはできませんが、当時の時代を想像し、小国の軍事政権国家で最貧国の一つでしかなかった中華民国と、最貧国ではあるが広大な国土を有し人口も多い共産主義国家である中華人民共和国の方が、欧米にとってビジネスを開拓するフロンティアに思えたのではないかと想像します。それが為に、一つの中国を主張する中華人民共和国を、国連のメンバーとして残したのではないかと想像します。それに中華人民共和国はソ連と繋がりがあって、その頃にはもう原爆を手にしていたのかもしれません。原爆は、今も昔も、人類滅亡の最大の脅威であり、それを持つ者は、この地球上で特権が与えられるのかもしれませんね。

そして中華人民共和国(以後、中国と記述します。)、中国は最古の文明発祥の地であり、何千年も前からユーラシア大陸の諸国諸地域に、様々な影響を与え続けてきましたね。日本は、伝来した仏教、道教、等々から智慧を学び、伝来した最先端技術などを礎にして日本文化を開花させていきました。日本にとっても、中国は脅威であると同事に憧れの地であり続けました。丁度150年前、日本は近代の西欧文明に触れ、急速に西欧化を図りました。それとは反対に中国、当時の清は欧米のビジネスの食い物にされていました。西欧化を果たした日本は、東アジアの安定を図るという使命を抱きながら、同事に欧米に負けマジと欧米のように傲慢な態度で東アジアの国々に接し、遂には侵略行為に走ってしまった。それが第二次世界大戦の敗戦に繋がり、東アジアの国々に汚名を残すことになってしまったのだと思います。しかし、日本の、というか、市井の日本人の本音は、東アジアの安定と、平和の享受、そして文化や商業の発展により、心も財布も豊かになることではなかったかと思います。日本人は、森羅万象に対して畏怖の念を抱く民族であるとともに、聖徳太子の時代から『和を以て為す』を信条としてきた民族です。ですから、他民族を理由なく無慈悲に蹂躙する民族では決してありません。ただ、『和を以て為す』という信条が『長いものには巻かれろ』という様な従臣意識に抗えないという欠点も有しています。それが、近代、現代の日本の停滞のそもそもの原因を為しているのかもしれません。

中国は、共産主義の看板を下ろしてはいませんが、実質的には日本と同じ、ポピュリズムの国家です。権力者は権力を維持するために民衆に迎合します。但し、中国はあまりも国土が広く、十億を超える様々な人種、宗教、背景を持つ人民を擁する為に、本来、共産主義では有り得ない強固なヒエラルキーが存在する国家でもあります。そしてすべての人民が享受できる利益を説くことなどできないために、国家の敵を創り出し、不満を外敵に仕向ける国策を常に採り続けてきました。それが、東アジアでは、日本であり、台湾です。

そして、もっと大きな敵はアメリカです。アメリカも日本も台湾も、いわば中国政府が創り出した、存在しない脅威です。

中国人は、現代においても偉大な人々だと思います。中国政府も同様です。途方もない国土と人民を有しながら、この30年でアメリカに次ぐ、大国へと成長しました。

中国政府が、もっと中国人民を信じて、中国人民の人権と自由を保障するような国家に変貌すれば、そして近隣の諸国とも和を以て為すという王の気風で接してくれれば、東アジアの安定の基軸となるだけでなく、この地球上で一番称賛される国家となり得ることも可能ではないかと思います。

今こそ、アジアの諸国に対して、脅しではなく、和で迎え入れ、アジアの、更にはこの地球上の平和と安定、更には国連を主導し、他地域の紛争の解決を図ると共に、地球温暖化などの人類全体に影響する危機に対して、率先して行動するリーダーへと変貌してくれたらと願います。


追伸。

妻と、神戸森林植物園に出かけました。紅葉が真っ盛りでとても美しかったです。

園内では、韓国語や中国語を話す若い人たちや家族連れを見かけました。皆さん、とても穏やかな笑顔で紅葉を楽しまれていました。これこそ、私たち人が、望んでいるものではないかと思います。互いに笑顔で、美しい自然の風景を眺め楽しむという至福の時間を持つことです。



何故に、出来うる検証を行わなかったのか?

テレビ観戦を楽しみにしていた『侍ジャパンシリーズ2025 日韓戦』でしたが、第1戦で起きたプレーのアウト判定がテレビのリプレーで誤審であったことが明らかであったのに、審判団だけの協議だけでアウト判定が確定し、ゲームが再開されてしまったことに興ざめして、以後観るのを止めてしまいました。

4回表裏、両チームが3点ずつ取り合ってがぜん面白くなってきた矢先の5回表でした。韓国チームの攻撃でしたね。先頭打者が放った強烈な打球が投手に当たって大きく一塁側に跳ね、そのボールを一塁手がダイレクトキャッチしワンアウトになりました。一緒に観ていた妻が「何でアウトなん?」と訊ねてきたので「ひとりがフライボールをグラブではじいて取れなくても、側にいたもうひとりが地面に落とさずにキャッチしたらアウト、それと同じで地面に一度も付かずにキャッチしたらアウト、ファインフレーや」と解説しました。が、すぐテレビでリプレーが始まって、打球は投手に当たる寸前でマウンドの土をタッチしているのがハッキリと見て取れました。東京ドームのスクリーンにも映し出されているだろう、そう思いました。でも、審判団はこのプレー判定のために集まって協議した後、判定を変えぬままプレー続行を告げました。韓国チームの監督が出て来て抗議の姿勢を見せましたが、早々に諦めてベンチへ戻っていきました。いつもの中継なら、しつこいほどにリプレーを流すのに、それにドームのスクリーンにはこのリプレー流れてないの?と疑義の気持ちが湧き上がり、それで私は観る気持ちが失せてしまいました。

MLBのゲームなら、試合の勝敗同様に、セーフかアウトの判定や、ストライクかボールという一球の判定さえも厳しい視線が注がれます。セーフかアウトの判定に異議があれば、異議を申し出るチームの監督はリプレー検証をリクエストします。リプレー検証に該当するプレーである場合は、ニューヨークに設置されたMLBのビデオ判定チームが球場に設置された8~12台のビデオカメラが撮影したあらゆる角度からの映像を元にリプレー検証を行い、該当プレーのセーフかアウトの確定判定を行います。この確定判定には誰も異議を申し立てることはできません。また、リプレー検証に該当しないプレーの場合も、審判団自らの判断でリプレー検証を要求する場面も見受けられます。そして、来年からはストライクかボールの判定にAIと高性能カメラによる自動投球判定システムが導入されるといいます。

これらの検証システムの導入は、人間の審判員を蔑ろにするものではなく、むしろ審判員の負担を軽減ことに大いに役立つものと考えます。

人間は人間である限りバイアス(先入観や思い違い)から逃れることはできません。リプレー検証ができなかった時代では、あいまいさは、誰からも許される許容範囲にありました。むしろ人間だからと納得していたように思います。私自身、少年野球や草野球に携わったとき、審判を何度か務めた経験がありまして、先入観や思い違いなら良い方で、明らかに自己の判断(けっして悪意はなく、頑張っている選手を持ち上げようとしたりして・・・)で判定したことや、ストライクかボールの判定では(投球が速すぎたり変化しすぎたり、捕手が邪魔でそもそも死角になっていたりして)見えていないのに、大体で判定したことが多々ありました。それで揉めるなんてことは一度もありませんでしたが、私自身の中に後ろめたさみたいなものが残ったように記憶しています。

審判員は、両チームのどちらかに偏ることなく、特定の選手に偏ることなく、ゲームを進行し、プレーそのものを正確に判断して判定し、ゲームの勝敗を宣言する権限とそれに伴う責任があります。プロの審判員ともなれば何百試合、何千試合とこの仕事を続ける事になります。その間、他人にはけして吐露できない後悔の念というものも積み重ねなければならないでしょう。それに現代であれば、ゲームの中継映像が思いもよらない誤審を世間にあきらかにし、それがネットで永遠に晒し続けられるという恐怖も現実に起こり得ます。審判には最悪の時代の到来だと思います。

リプレー検証やAIによる自動判定システムは、人間のバイアスから起こる誤審や、チームや選手が審判団に対して抱く不信というものを、ゲームから取り除くことに繋がると思います。人間の眼では判断ができないスピードや画角や空間の範囲、そしてクローズアップを、AIや高性能カメラがあきらかにして、人間が判断するための正確な答えを与えてくれるのです。人間はバイアスを恐れる必要が無くなるのです。


WBCにも、ビデオ判定ルールが適用されます。その目的としては

・試合の透明性の向上を図ることで、ファンの信頼を築く。

・選手のパフォーマンスを保護するため、誤った判定を減らす。

・野球のエンターテイメント性の向上を目的として、観客の楽しみを増加させる。

以上の三つが掲げられています。

それなのに、『侍ジャパンシリーズ2025 日韓戦』では、この目的が蔑ろにされていました。このシリーズでは、日韓ともに誤審を受けています。このシリーズは本チャンではなくあくまでも強化試合だから、或いは親睦試合?だからなんてうそぶく人もいるかもしれませんが、このシリーズはWBCの一環で行われたものである限り、WBCのルールや信条に少なくとも準じなければならないと思います。日本プロ野球が使用する野球場には、MLBの野球場が備える検証のための精緻なシステムなど備えていないし、韓国プロ野球の野球場が備える高度なAIによる自動判定システムもないことを、ここで問題視するつもりなんてありません。日本のプロ野球で私たちは満足してきたし、日本の野球場の素晴らしさ、特に甲子園は世界一だと自負していますから、それに不満なんてありません。しかし、WBCが掲げる検証ルールの目的を現状の環境下でも出来うることはやり尽くすべきだと思います。

今回の誤審など、日本のチャレンジルールの環境でも正せた誤審です。『何故に、出来うる検証を行わなかったのか?』、『何故に蔑ろにしたのか?』を大いに問題視すべきだと思います。


もう一つ付け加えねばならない事があります。この誤審を下したのは、今年にMLB初の女性審判としてデビューしたジェン・パウォル氏です。ジェン・パウォル氏は、30年以上、1200試合以上のソフトボールや野球の選手としての経験や審判としての経験を積み重ね、今年ようやくMLBの舞台に立った、云うならば経験豊富なプロの審判員です。ですが今回の誤審が誤審として正されなかったことは、ジェン・パウォル氏の今後のキャリアにも、そして心に残る記憶にも、負いにならないか心配します。

また「ジェンダーバイアス(性的偏見)」に繋がらないかも心配します。ジェン・パウォル氏は、MLBにおいて女性が活躍できる場所を一つ開拓されました。日本よりもはるかに女性が、というよりも性差別が少なくて、誰もが活躍するチャンスが与えられる社会であるアメリカですが、現実には古風と云うのか、保守的と云うべきか、もっとハッキリと言えば古き良きアメリカを懐古するだけでは物足りずその時代をもう一度と「Make America Great Again」と叫ぶ白人のアメリカ男性が「やっぱり女では駄目だ」「門戸を閉めとよ」と勢い付かないか心配します。

何より心配するのは、MAGAの精神に同調する日本男子(特に地位のあるニッポンダンジ)が、まだまだ性差別が甚だしい日本社会で、あれもこれもと、まだ女性に門戸を開くのは時期尚早だと思慮深さげに発言しだしはしないかと心配します。日本人は、地位の高い人や声の大きな人に同調してしまう国民性を孕んでいますから、個々人は色々と心の中で良いことを考えていても、結局は自己を押し殺し、諦め、従ってしまう恐れがあるからです。 

2025年11月17日月曜日

世界を善い世界に変えていくために

 日曜日の夕方は、大河ドラマと時代劇の二本立てお楽しみ時間です。そして現在放送中の時代劇は、沢口靖子さん主演「小吉の女房2」(再放送)です。昨日 放送のあった「第四回 麟太郎、ナポレオンと出会う」では、風間杜夫さん扮する豪放磊落な隠居老人が、若き勝麟太郎の「何故にナポレオンはフランスの王になれたのか?」という問いに対して『ナポレオンは、胆力と知識を持っていたからだ』と答えていたのが、とても印象に残りました。

胆力も知識も、一朝一夕に身に付くものでは無いし、暗記学習で身に付くものではないですね。それこそ、諦めず、我が身を奮い立たせ、鍛え続けてこそ身になるものだと思います。この胆力と知識に、善の心が伴う人があれば、その人は、私が望む、世界を善き世界に変えてくれるリーダーです。

以前はひとりいました。日本人の中村哲医師です。アフガニスタンで30年もの長き間、貧困にあえぐ人々が自力で生活再建出来る様に、人力で農業用水路を作るという途方もない人道支援活動に精も根も尽くし続けた人でした。

昨日、もうひとりいたことに気が付きました。その人は、パレスチナ人のイゼルディン・アブラエーシュ医師です。

昨日、龍野公園の紅葉を観に行こうと歩いて龍野橋を渡ろうとしたとき、橋の東のたもとにあるラーメン屋さんの表に張り出されていたポスターに目が留まりました。立ち止まってじっくりと読むと、それはドキュメンタリー映画「私は憎まない I shall not HATE.」の上映告知でした。

「私は憎まない」上映会

日時:11月29日(土) 10時・14時・19時 の3回上映

大人:500円 18歳以下 無料

会場:教覚寺 姫路市林田町口佐見31

それで思い出したんです。以前ニュースで見て、気に留めていたことをです。

アブラエーシュさんは、私たち現代の日本人では想像すらできない悲嘆を経験されています。

1955年にガザのジャバリア難民キャンプで生まれたアブラエーシュさんは、イスラエルによる終わらない攻撃と貧困の渦中で、知識を身に付ける事で、この境遇から逃れられると信じ勉学に励み、大人になってイスラエルの病院で働く初めてのパレスチナ人産婦人科医となりました。そこでは肌の色、民族、宗教、様々な背景に関係無く、数千人近くのパレスチナ人、イスラエル人の赤ちゃんの誕生に携わってきました。その経験からアブラエーシュさんは「命の重みは同じだ」「赤ちゃんは生まれたときはみな自由で平等だ」ということを確信されました。そして、対立はきっと乗り越えられると信じて、産婦人科医の仕事を続けていました。

しかし2008年に起きたハマスとイスラエル軍の紛争で、ガザに侵攻したイスラエル軍の無差別攻撃で自宅が砲撃され、医者を目指す20歳のビサーン、医者を夢見る15歳のマイヤール、人権の擁護者になる夢を抱く14歳のアーヤ、そして17歳の姪ヌールの四人を目の前で虐殺されます。これ以上無い悲嘆な経験をされたのに、アブラエーシュさんは翌日 メディアの前で、憎しみではなく、和平と共存への願いを訴えられました。

「パレスチナ人とイスラエル人は平等な市民として共存するしか道はない。私たちはそう声をあげるべきです」

アブラエーシュさんはその後も、世界各地で講演を行い、報復ではなく対話を呼びかける運動に身を捧げられています。また、2010年には、夢半ばで亡くなった娘たちを忍び、中東の若い女性に高等教育を提供する慈善団体を設立されました。学び続ける事で女性たちが力も持ち、中東地域の変革の担い手となってほしいという願いが込められているそうです。

https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10014623561000

NHKニュース記事「憎しみには飲み込まれず共存を訴え続ける ガザ出身医師の誓い」は、昨年2024年10月に、アブラエーシュさんの生涯を描いたドキュメンタリー映画の公開に合わせて来日されたときのインタビュー記事です。私はこのインタビュー記事から一部引用させて頂きました。

今年7月に日本語訳が刊行された、スウェーデンのルンド大学人文地理学部准教授で社会主義活動家であるアンドレアス・マルム氏が2024年に出版された「パレスチナを破壊することは、地球を破壊することである The Destruction of Palestine is the Destruction of the Earth.」を読んでいますが、アブラエーシュさんとは真逆の主張が述べられていました。

南アフリカのアパルトヘイトに抗い武装闘争の戦士となったことで27年間投獄された経験を持つネルソン・マンデラ氏が1999年1月にパレスチナを訪れた際、パレスチナの政治家に語った言葉です。

『対立よりも平和を選びなさい。但し前進できないとき、前に進むことができないときは別です。そして、もし唯一の選択肢が暴力であるのなら、私たちは暴力を行使するのです』

この言葉についてマルム氏は、

「ノース(経済的に豊かな欧米諸国)の植民地政権が、先住民や輸入奴隷がいるところに入植者を移住させ、彼らを追い出し、搾取し、絶滅させるとき、頸木を振り払って最低限の自由を手にし、生存を確保せんとする彼らの試みが入植者に立ちはだかるのだ」と述べています。

また、「偽善的な道徳主義、勝者しか手に入らない倫理的な自己満足に浸りながら、私たちは(占領者であるイスラエルに対してのパレスチナ人の)武装闘争を糾弾しなければならないと要求してくる人々には、こう答えるべきだ。あなたはパレスチナ人に何を求めるのですか?地に倒れたまま、黙って死ぬことを学んでほしいとでもいうのですか?」

「武装闘争とは、他に呼吸する空気が全く無くなったときの最後の酸素チューブなのだ」

そして、「パレスチナの民族運動は、(1948年のイスラエル建国によって奪われた先祖の地であるパレスチナへの)帰還の権利(国連総会決議194号で認められている権利)を要求している」と述べています。

私は、2023年10月に始まり現在も終わらないガザ・イスラエル紛争は、2023年10月7日にハマス(イスラム抵抗運動)が行った大規模な無差別殺戮を伴う奇襲攻撃(パレスチナが、トゥーファン・アル=アクサー アル=アクサーの洪水と呼ぶ攻撃。アル=アクサーは旧エルサレム市街にあるモスク。何度も過激なユダヤ教徒や福音派(キリスト教シオニスト)の外国人に攻撃を受けた。)が原因と感情的に思っていました。それは、欧米のメディアや日本のメディアから当時の奇襲攻撃の散々たる惨劇の様子を見せられたことが要因の一つだと思っています。そして私は、パレスチナの側に立ったニュースや文献にあまりにも触れてこなかったことも大きな要因であったと思います。

最近、パレスチナ側に寄せたドキュメンタリー映像や文献に触れることで、私が信じていた世界、人権・自由・平等が守られる世界という戦後の日本教育が日本人に信じ込ませようとした世界は、実際には存在しないのではないかという疑念を抱くようになりました。

結局は、人類の歴史が始まった悠久の昔から、力の強いものが、権力を握ったものが、自分の思惑通りに現状を変更していく、書き換えていく、奪っていく。そして、人権・自由・平等という理念や宗教などという思想は、その後始末として、歴史を正当化する方便でしかないのかという疑念です。

しかし、そんな疑念に抗う気持ちも湧いてきます。それもまた、人権・自由・平等という理念や宗教などという思想を守らなければという思いです。

その思い、非常にひ弱な思いですが、それを絶対に切らさないためには、私たち一人一人が、『世界を善い世界に変えていく』という命題を、自分の命題として持ち続けることだと思います。そのためにも、私たち一人一人が、胆力と知識と善い心を養うことを忘れずにいたいと思います。


2025年11月11日火曜日

フランケンシュタイン

Netflixで今月公開されたギレルモ・デル・トロ監督作品「フランケンシュタイン(原題:Frankenstein)」、待望していた今作品を遂に観ました。

そして、私のフランケンシュタインに登場する怪物のイメージは一新されました。この作品を観るまでは、フランケンシュタインに登場する怪物は、マッドサイエンティストが造りだした無知性で愚かな醜い怪物であり、主役にはなり得ないものでした。

私は、19世紀初頭に創作された怪異小説「フランケンシュタイン、或いは現代のプロメテウス」は読んだことはありませんが、あらすじを辿るなら、デル・トロ監督は、この原作に忠実に、現代の映像マジックを駆使して、フランケンシュタインが創造した怪物が崇高な人間へと成長する物語を描いていました。とても胸を打つ物語でした。

この物語に登場するもう一人の主人公ヴィクター・フランケンシュタインは19世紀の天才医学者であり天才科学者です。子供の頃に高名な医師で厳格極まりない父から将来医師となるための手ほどきを受けました。それは、少しでもつまずけば鞭に打たれるという厳しいものでした。ヴィクターはそれ故に、父への極端な愛憎を募らせ、遂に父を超える名声を獲得するという野望に取り憑かれることになります。その具体的な方法が、知性を持つ人間を創造するという神をも恐れぬ所業でした。

私はこの物語を見ながら、中世の神学者でありながら人文主義者(ヒューマニスト)でもあったデジデリウス・エラスムスを思い浮かべました。中世のキリスト教国では、子供の教育に鞭を打つなどの体罰を伴うことが当たり前に行われていました。思い出せば、1971年に公開されたイギリス映画「小さな恋のメロディ」でも、主人公の小学生が教師から鞭打ちの体罰を受ける象徴的な場面がありました。こういう行為はヨーロッパでも近代まで続いていたんですね。エラスムスは、この様な、子供を非人間的に扱う行為は、人間に対する相応しい教育とは言えず、人間を奴隷化するものだという「幼児教育論」を発表しました。これは、人類で最初の人権宣言と云われます。

ヴィクター・フランケンシュタインが創造した怪物、創造者が非人間・怪物と蔑んだ生物は、長い流浪の旅の中で、永遠の命を呪いながらも、言葉を学び、聖書を学び、遂には人の罪を許す事ができる崇高な人間、或いは人間以上の存在へと成長を遂げていきました。

何が、彼を、崇高な人間へと導いたのか?

それは彼を、怪物とは見なさずに、彼の中にある純粋さや優しさを汲み取ることができる人との出会いでした。

これこそ、人間を大切にすることができる人間を育てる為の、教育の神髄なのではないかと思います。