Field of Dreams
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絵本「たいせつな きみ」を朗読しました。
絵本「たいせつな きみ」(原題:You Are Special)を朗読しました。 この絵本を初めて読んだのは二十年近くも前ですが、創造主があまりにも絶対的存在で描かれていることに違和感を覚え、その後はあまり読み返すことなく本棚にしまい込んでいました。 でもあらためて読み返す...
2025年12月3日水曜日
2025年11月30日日曜日
ドキュメンタリー映画『私は憎まない』観賞
林田町の教覚寺で開催された映画上映会に参加してきました。
上映された作品は、
2024年公開のドキュメンタリー映画『私は憎まない(原題:I Shall Not Hate)』(上映時間95分)と、昨年10月に日本での劇場公開に合わせて来日されたドキュメンタリーの主格であるガザ出身パレスチナ人医師イゼルディン・アブエライシュ博士の講演動画(35分)でした。
講演動画は、YouTubeで公開されていました。
動画タイトル:「声を上げてください。」「即時停戦をすることでこれ以上血が流れることのないように」イゼルディン・アブラエーシュ博士 来日講演
投稿者:ドキュメンタリー配給会社ユナイテッドピープル
https://www.youtube.com/watch?v=eupnzmlyTjo
ドキュメンタリー映画『私は憎まない』は、イゼルディン・アブエライシュ博士が2011年に出版された回想録『私は憎まない:ガザの医師が平和と人間の尊厳への道を歩んだ旅(I Shall Not Hate: A Gaza Doctor’s Journey on the Road to Peace and Human Dignity.)』を基にして、当事者のインタビューとアニメーションで表現された懐かしい思い出、そして辛い記憶を呼び覚ます記録映像、再び起こったガザの破壊の始まりまでが、時系列で辿られていました。
1955年にガザのジャバリア難民キャンプで生まれたアブエライシュさんは、貧困と戦争による死の危険を感じる中で過ごした少年時代を、家族(一族)を支えるために働きながら、この境遇から抜け出すためには知識を身に付けることだと悟り、勉学にも勤しみました。その努力が実り、彼は奨学金を得てカイロ大学に進学し医学を学び、その後ロンドン大学でも学んで産婦人科医の学位を取得しました。そしてガザで産婦人科医として働き始め、その後、縁あってパレスチナ人として初めてイスラエルの病院で産婦人科医として働く事になりました。そして数多くの出産に立ち会ったことで、新しく生まれてくる命には差別が無いことを実感し、パレスチナ人もイスラエル人も互いが協力すれば共存の道が必ず開けるという信念を抱くことになります。彼の周りには、その信念に共感するパレスチナ人、イスラエル人の友人、そしてもちろん家族がいたことも、その信念を固くすることに繋がったのだと思います。
彼はガザに一族が安心して住める共同住宅を建てました。そして勤めるイスラエルの病院へは、ガザからイスラエルの検問所を通って通い続けました。
しかし、彼にとって人生最悪の日が訪れます。2008年12月27日、再びイスラエル軍のガザ侵攻が始まりました。そして1月14日、彼の家の前に戦車が近づいてきました。彼はイスラエルテレビ局のニュースキャスターを務めるイスラエル人の友人に電話を掛けて、家が標的にされていることを告げ、軍の関係者に攻撃を中止するよう要請しました。友人の尽力によりその日、彼の家の前から戦車は引き揚げていきました。しかし、その二日後の2009年1月16日、家の中で家族の団らんを見守る彼の目の前の光景が、一発の砲撃で一瞬に地獄と化しました。三人の娘と一人の姪は、その砲撃でむざんに殺されました。二発目の砲撃で、別階に居る親族が多数殺されました。その他の家族や親族も大怪我を負いました。彼はニュースキャスターの友人に助けてほしいと電話を入れました。友人はニュース番組の放送の真っ最中でしたが、電話に出ました。彼のうめき声、悲痛な叫びが、電波に乗って世界中に報道されることになりました。
その後、友人の尽力によって彼と大怪我をした家族、死亡した家族はイスラエルの病院に運ばれました。
彼は、翌日メディアの取材を受けました。彼がメディアに訴えたのは、怒りや憎しみ、恨みではなく、共存の道を求め続けていくという決意でした。彼を知るイスラエルの友人たちでさえ、彼のこの発言や行動は理解を越えたものでした。この彼の発言が影響したのか、イスラエルはこの日、一方的に停戦を宣言して撤退を始め、三週間に及んだガザへの無差別攻撃は終結しました。
そして彼は、その後、彼の生き残った子供たちの快復を待ってから、彼を招聘したトロント大学で教鞭の仕事に就くために家族とともにカナダに移住しました。
イスラエル軍からは、娘たちを殺害した事に対する謝罪は一切ありませんでした。彼は、殺された娘たちに報いるために、イスラエルの裁判所に娘たちを殺した者たちを告訴しました。しかしそれは、2021年まで続く、長く不毛な戦いとなりました。裁判所は、彼と家族からの幾度となる告訴を、次のような理由を示して否決し続けました。
・イスラエル軍は、彼の家を砲撃していない。
・彼の家の屋上にハマスの狙撃手がいた。
・彼の家の砲弾の欠片を調べた結果、砲弾はハマスが砲撃したものであると判明。
・彼の家に爆発物が隠し置かれていたことが被害を大きくした。
すべて明らかな嘘でした。欧米のメディアもイスラエルの(独立系?)メディアも、そのように報道しました。しかし、最終的にはイスラエルの最高裁判所が、イスラエル軍に過失はないと、彼に最後通告を行いました。
それでも、彼と家族は、イスラエルを憎むという権利を行使することを拒否し続け、パレスチナとイスラエルの共存の実現を求める活動を続けています。
そして映画は、人生最悪の日の訪れる前、家族で訪れたガザのとても美しい浜辺で、娘たちが笑顔を振りまく家族の記録映像で終わりました。
続いて上映された講演動画では、非常に感銘を受けたメッセージがありました。
「私には勇気と知恵があります。前に進み続ける決意もあります。長い道のりだということは、わかっています。学んだことや知恵を総動員します。憎しみは禁物です。何故ならば憎しみは毒だからです。炎で心を破壊します。重さで動けなくなり、沈んでしまう。あちらは私が潰れるのを願っている。私は決して憎しみの病には侵されない。破滅し、敗北はしない。私の魂を敗北させることはできない。決してそうはさせない。」
ドキュメンタリー映画の中のあるシーンを思い出しました。
殺された娘たちに報いる裁判では、否決される度、メディアから何度も『恨みや憎しみ』について言及されますが、彼と彼の家族は、一貫して次のように答えていました。
「(誰かを)恨むことはありません。但、このように不毛な裁判を続けなければならない境遇を恨みます。」
このイゼルディン・アブエライシュ博士と彼の家族の、「私は憎まない」という並々ならぬ決意に触れて、私は仏教の始祖である釈迦尊者が弟子(比丘)たちに説かれたといわれる、ひとつの話を思い出しました。仏教学者ひろさちやさんの著書『般若心経 人生を生きやすくする知恵』の、『是故空中無色。無受想行識。』の解説文に書かれていた、次のような話です。
釈迦尊者が弟子たちに「誰もが、外界の刺激や印象を受けて、楽受を感じ、苦受を感じることは、等しく同じである。では、仏教の智慧を学ぼうとする人々と、まだ教えを聞かぬ人々とでは、どういう違いがあるだろうか。」と問い、次のように説かれました。
「教えを聞かぬ人々は、苦受を受けると、(更に)嘆き悲しんで、いよいよ混迷に至る。(楽受もしかり、更に欲が深くなり、いよいよ混迷に至る)。それは、第一の矢を受けて、更に第二の矢を受けるに似ている。しかし、既に智慧を学ぼうとする人々は、苦受を受けても、いたずらに嘆き悲しんで混迷に至ることはない。楽受もしかり。」ひろさちやさんは、更なる嘆き悲しみを自ら創造すること、更なる欲望を自ら創造することが、私たちを苦しみに陥れるのであって、このように第二第三の矢を自ら撃ち込まない、受けないようにすることが『般若心経』に通底する仏教の智慧であると述べられていました。イゼルディン・アブエライシュ博士と彼の家族は、この苦難ばかりの『平和と人間の尊厳への道を歩んだ旅』で、こんなにも徳の高い智慧を得られたのかと、私は感嘆に震える思いがしました。
私は10時の上映会に参加しました。記帳して本堂に入り、座席に着座すると、ひとりひとりに小盆に載せてお茶とお菓子を配って下さいました。パレスチナの特産物であるセージのハーブティーとデーツです、と説明して下さいました。
映画上映会は、娘さんが主催され、今回が第14回目の上映会ということでした。
https://www.instagram.com/p/DPrutjyk21V/?img_index=1
上映前に、娘さんから1948年のイスラエル建国で始まったパレスチナの人々のナクバ(今も続く大災厄)の歴史の説明がありました。
1.第二次世界大戦でドイツが敗戦し、ナチスのホロコーストから生き延びたユダヤ人でしたが、彼ら25万人を受け入れるヨーロッパの国はなく、戦勝国が中心となって新たに設立した国際的な安全保障を司る機関United Nations(日本語名称:国際連合)は、ユダヤ人問題とは無関係であるアラブ人や遊牧民が暮らすパレスチナの地に、ユダヤ人国家を建設することを決定した。追補:19世紀後半に起こったシオニズム運動(二千年近くヨーロッパで迫害を受け続けてきたユダヤ人が、パレスチナの地にユダヤ人国家を再建するということを目指した運動)を、英米それぞれが意図を持って支援し続けてきた。
2.建国される前、ユダヤ人入植者が購入したパレスチナの土地は全体の6%足らすであったが、国際連合が決定した分割案では、パレスチナの土地の半分以上がユダヤ人の国家イスラエルに割り当てられた。
3.この分割案が国際連合総会で議題とされる前に、この分割案を検証した特別委員会(アドホック委員会)は、「ユダヤ人難民問題は関係当事国が速やかに解決しないといけないが、関係の無いパレスチナ人(この地に居を構えるアラブ人や遊牧民)に代償を支払わせる形で、パレスチナの地にユダヤ人の国を創って解決しようというのは、政治的に不正である」と結論づけたが、この結論は無視され、分割案は可決された。
4.イスラエルの初代首相となったベングリオンは、建国当初のユダヤ人の人口比率が6割であることを『安定かつ強力なユダヤ国家にならない』と問題視し、イスラエルの領土にいるパレスチナ人(アラブ人や遊牧民)を可能な限り排除するという民族浄化という軍事行動を開始した。
10時の上映会には、ざっと見て40~50人の参加がありました。少年野球の子どもたちもコーチに引率されて参加していました。まだ小さなお子さんを連れてこられていたお母さんもいましたね。本堂の中は、とても和やかな雰囲気でした。
ただ、映画の中でワンカット、空爆によって路上で殺害された人々が映るシーンがありました。最近のフィクション映画やアニメーション映画が描く暴力は、リアルを超える惨たらしさが満載で、そのような映画を見慣れていれば、心的な影響に言及する必要などないかもしれませんが、私にとってはリアルな映像には、未だ配慮が必要なのではないかと考えてしまいました。
また、パレスチナの人々に連帯を示す方法として、イスラエルの商品の不買運動に言及する意見もありました。私は、この意見には反対です。私たちは、パレスチナ、イスラエルともに共存を願う人々に寄り添わなければいけないのだと思います。現在の日本には戦争に荷担する意志も経験もありません。日本が持っているのは、災害や戦争の傷跡を癒やし、復興するという意志と技術と経験です。それが大いに活躍できるのは、パレスチナでの戦禍が止まり、復興の道筋が着いてからです。今私たちが出来る事は、このパレスチナ問題の本質を理解し、双方ともに信頼される関係を築き維持していくことだと思います。
争いの渦中に巻き込まれ、どちらかに偏重しないことだと思います。
2025年11月25日火曜日
AIが招く世界の終わり
今朝、こんなニュースを見聞きしました。何でも、アメリカでは大卒の若者の就活が難航しているということで、その背景にあるのは、企業の業務全般のAI化推進ではないかと云う内容でした。
現在のアメリカは、人類の富の大部分を一握りの富裕層が保有するという超絶した貧富の格差社会を生み出しています。その富裕層の人々は、満足することを知らず、更に富を拡大するために思考を巡らしています。
現代の社会は、ITが高度に発達した情報社会です。そして、現在のトレンドは、あらゆる情報を持続的に収集してAIに学習させることで専門性の非常に高いAIを作り出し、そのAIが人間に代わって製造する創作物(それは知恵であったり、答えであったり、静止画・動画・音声・音楽であったりします。それらは仮想の産物です。)で、莫大な富を生み出します。
その現代の富の鉱脈を作り出し、持続的に稼働させるためには、莫大な資金とエネルギー資源が持続的に必要となります。その資金やエネルギー資源というものは、本来ならば人類の健やかなる進歩にこそ使われるべきものですが、富とビジネスを寡占する富裕層の人々が傾倒するのは、自らの富の更なる拡大と、もしかしたら、AIが製造する知恵や答えが開くことになる未来の支配(と、言い切ってしまってよいかどうかは、知らんけど)でしかありません。
世界の終わりの第一の波。第二次世界大戦後の80年間、地域紛争は止まず、大国同士の小競り合いも止むことはありませんでしたが、それでも第三次世界大戦を招く事態は、どの大国も避ける努力を続けてきました。しかし最近では、その努力が失われつつあります。大国は自らの力を誇示し始めて、この80年間で人類が築いてきた国際的な秩序の恣意的な変更に挑み始めています。その行為にも、AIの創造物である偽情報が大いに活用されています。
世界の終わりの第二の波。既に何十年前も前から科学者が警報を鳴らしてきた地球環境の破壊です。産業エネルギーを製造したり燃焼する過程で生み出される排気ガスやエネルギー資源や鉱物資源を採掘するための森林破壊・土壌破壊という地球環境の破壊は、過去においては、人類全体の野放図な欲望が引き起こした無分別な行動であったと考えられますが、現在そして近未来においては、唯一AIを超絶に稼働させると云う理由だけで継続されるかもしれません。そして、私たち人類は、地球の急激な温暖化や寒冷化、そしてあらゆるものを根こそぎ吹き飛ばす低気圧の渦と、あらゆるものを根こそぎ洗い流してしまう大水の恐怖に怯えながら生きていくことになりそうです。
世界の終わりの第三の波。そしてAIが人間の知的生産活動の全てを奪ってしまった暁には、人間は考える歓びが奪われて、知的好奇心を失い、進歩を止めてしまうかもしれません。
今朝のニュースに、私は第三の波の到来を、感じ取った次第です。
懐古主義の話
友だちのいちゃさん、かんちゃんと談笑していて、懐古主義の話になりました。
いちゃさんが口火を切りました「懐古主義ではないんやけど……」と。
最近、奥さんが以前は見向きもしなかった寅さん映画にはまっている、そうかうちもや寅さんと浜ちゃん映画にはまっている。なんでか、どうやら奥さんたちは、外でのギスギスした人間関係のストレスを、寅さんや浜ちゃん映画が描く在りし日の人情喜劇を見ながら癒やしている、そう理解し、同意をしました。
因みにご存じの無い方のために、寅さん映画は『男はつらいよ!』です。主人公が寅さんこと車寅次郎(演者は渥美清さん)です。そして浜ちゃん映画は『釣りバカ日誌』です。主人公が浜ちゃんこと浜崎伝助(演者は西田敏行さん)です。
そして私たち男連中はというと、最近では不適切だと世の中が許さなくなった、私たちが十代二十代の頃に憧れ、そうでありたいと願った、一本気な野風増的な生き様を懐古するのでした。
ちょっとだけ脱線しますが、先週末BSテレ東で放送された『釣りバカ日誌6』を振り返りたいと思います。
***
『釣りバカ日誌』は、大会社の平社員である浜崎伝助(以後浜ちゃん)とその大会社の社長で初老の紳士鈴木一之助(以後スーさん)の二人が織りなす人情喜劇です。二人は魚釣りでは、浜ちゃんが師匠でスーさんが弟子という立場が逆転する間柄でもあります。
さて、あるとき、スーさんの奥さんが海外旅行に出かけます。スーさんが淋しくしていると気遣った浜ちゃんは、今(秋)が旬の岩手県釜石でのアイナメ釣りにスーさんを誘います。ちょうど釜石市の役所から市民講演会を依頼されていたスーさんは、浜ちゃんの誘いに乗って、二人はスーさんの運転するベンツで釜石を目指すことになりました。浜ちゃんは運転免許証を持っていないため後部座席を陣取ります。二人は釜石に到着してすぐ釣りを楽しみ、夕方に役所が手配したホテルに移動しました。ホテルでは役所の人たちが揃って出迎えていました。そして、後部座席から出て来た浜ちゃんを鈴木社長と勘違いしたことから、一騒動が起こります。
二人はこの勘違いを面白がって、浜ちゃんは歓迎の宴会を大いに盛り上げ、翌日の講演会では、姿をくらました鈴木社長になりすまし、市民ホールに集まった聴衆の前で、できる筈もない演目は放置して、魚釣りの漫談で聴衆を大いに楽しませます。では運転手に勘違いされたスーさんの方はというと、最初は不機嫌でしたが、通されたホテルの小部屋で夕食の供をしてくれた上品な仲居の澄子さんをいたく気に入り、会話も弾み、翌日が休みであった澄子さんと民話の里と知られる遠野への観光を約束をし、翌日朝早くから浜ちゃんに置き手紙だけを残して、澄子さんと二人で観光に出かけてしまいます。
何はともあれ、釜石での行事を無事に終えた二人は、浜ちゃんの愛妻みち子さんが待つ家に帰ってきます。しかし、事の顛末を聞かされたみち子さんは、二人を叱り、スーさんが泊まっていくのを許しません。ひとり残された浜ちゃんが「講演会の謝礼、返さないといけないよね?」とみち子さんに謝礼の封筒を差し出すと、みち子さん「それはそれ、これはこれ」と、浜ちゃんが頑張ったしるしだからと懐にしまいます。浜ちゃん、あっけにとられてしまいます。
後日の出来事です。東京で働く娘の結婚式に出席するために澄子さんが東京に出て来ました。そこで娘から、仲人から新郎の列席者が多いため、釣り合いを取るために新婦側も何とか人を集めてほしいと頼まれたことを聞かされます。二人は母ひとり子ひとりの家族で親戚もなく、母の他には娘の友人が十名ほど出席を予定しているだけでした。娘には恥じ入る必要など無いと諭す澄子さんでしたが、釜石で親しくなった運転手の浜崎さんに相談を持ちかけます。澄子さんの前に現れたスーさんは、運転手の浜崎として澄子さんの相談に乗り、社長とは親しいからこちらで人を出しますと引き受けてしまいます。
そして結婚式の当日です。浜ちゃんとみち子さんは、主賓として列席し、その他、釣り仲間が社員という名目で多数列席することになりました。しかし、本物の鈴木社長と面識のある新聞記者が控え室に突然挨拶に現れた事から、澄子さんに嘘がばれてしまいます。まるで弄ばれた思いに暮れる澄子さんには、無情な披露宴が始まります。主賓の挨拶では、本物のスーさんがマイクを取って祝辞を述べることになりました。それに絶えきれずに澄子さんは会場の外に出てしまいます。それでもスーさん、若い二人に含蓄ある言葉を贈ります。そして、祝辞を述べた後、会場の外でたたずむ澄子さんとところに向かいます。
澄子さんに深く頭を下げて謝罪を述べようとするスーさんに向かって、澄子さんは運転手の浜崎さんとして、スーさんに感謝を述べて立ち去ります。
そして私は、山田洋次監督は、この澄子さんの人情の機微を描くために、この喜劇を紡いできたんやなと、そう深く実感しました。観終わって、とっても優しい気持ちになりました。
***
私たちが懐古主義に馳せるのは、きっとこう云うことだと思います。
羽目を外そうが、多少、非常識な言動や行動があっても、人を思い遣る気持ちが根底にあれば、そして、その優しさを汲むことができれば、人は優しくなれる、許し合える、そして、強くなれる。そう、私たちは十代、二十代の頃に経験してきましたし、教わってもきました。それが私たちの世代の心の根底に今も根深く残る優しさの本質なのだと思います。一種の宝物です。この宝物を、今の若い人たちに継いでいけたら、どんなに素晴らしい事かと心から思います。
2025年11月23日日曜日
現在のピッツァ作りのレパートリー
コロナ禍で始めたピッツァ作りですが、最近ようやくコツというものが掴めてきました。焼成は自宅のガスコンロで行う為に、石窯の様な400度以上の高熱で1~2分でふっくらとしかも香ばしく焼き上げるという技は使えませんが、それでも家族や友だちから「オイシイ」と好評をもらえるようになりました。その美味しそうに食べてくれる様子を見たくて、これからもピッツァ作りを続けていこうと思っています。
昨日、新しいソースを考案し、レパートリーが4品になりました。
一つ目は、ナポリピッツァ王道の《マルゲリータ》です。
ソースの具は、トマトペースト、ニンニクのペーストと塩、オリーブオイルを少々。トッピングは、モッツァレッラ、パルミジャーノ・レッジャーノ、オリーブオイル、バジリコです。二つ目は、牛ミンチをトマトペーストと赤ワインで煮込んだ《ボロネーゼ風ピッツァ》です。
ソースの具は、牛ミンチ、玉ねぎと人参を炒めたソフリット、赤ワイン、トマトペースト、塩(ミンチ量の1%)。トッピングは、モッツァレッラ、パルミジャーノ・レッジャーノ、オリーブオイル、バジリコ、黒胡椒です。今回は追加でミニトマトを焼成後にトッピングしています。
三つ目は、奈義町のピッツァリア『PIZZERIA La gita』で初めて食べて、その美味しさが忘れられずに試行錯誤して作っている《ブラッチョ・ディ・フェッロ(ポパイの鉄の腕という名のナポリピッツァ)》です。
ソースの具は、ほうれん草のペースト、リコッタとオリーブオイルを少々。トッピングは、モッツァレッラ、パルミジャーノ・レッジャーノ、ベーコン、オリーブオイル、バジリコ、黒胡椒です。
四つ目が新作の、エビとアサリとからし菜のペーストとカッテージチーズで作ったソースを乗せた《海鮮ピッツァ》です。
あと、《カルツォーネ》も作ってみました。
グリルの中で、勢いよく膨らむので、少し焦げ目が付きすぎましたが、皮がカリッと焼き上がり、とても美味しかったです。ではあたらめて、現在の私の《ピッツァ作りの手順》を記録しておきます。
因みに、生地作りには、小麦粉は「春よ恋」、そしてイーストは「白神こだま酵母ドライG」を使っています。
工程1:最初の工程は、ポーリッシュ法での発酵種作りです。小麦粉、水ともに250gとドライG1パック5gを保存容器に入れて軽く混ぜあわせ、フタをして室温でしばらく発酵を促してから、冷蔵庫で1~2日寝かせます。室温での発酵時間は、25度以下であれば6~8時間、25度以上であれば1~2時間です。
工程2:次に生地作りです。大きめのボウルに、発酵種と、残りの小麦粉と水(水の全量は、小麦粉の全量に対して65%の分量)、そして食塩(小麦粉の全量に対して2%の分量)を加えて、約20分間、グルテンを生成するために、捏ねる、パンチするを繰り返します。ネバネバ感が無くなって、艶が出て伸びやかな生地になると完成です。そうしたら表面をオリーブオイルでコーティングし、湿らせたタオルで覆い、1~2時間寝かせます。
工程3:一人前210gにカットします。捏ね上げた生地をスケッパーで210gにカットして、丸めて保存容器に入れフタをします。小麦粉1kgで、8つ丸めた生地が出来ます。
保存容器に入れた生地は、室温でしばらく発酵を促してから、冷蔵庫や冷凍庫で保存します。室温での発酵時間は、25度以下であれば6~8時間、25度以上であれば1~2時間です。そして冷蔵庫での保存ですが、冷蔵庫なら一週間以内、冷凍庫なら一ヶ月以内、美味しく食べられました。
工程4:いよいよ、焼成の準備です。まず冷蔵庫保存した生地を解凍します。冷凍庫保存の生地は、まず冷蔵庫に移して1~2日ゆっくり解凍します。そして冷蔵庫保存の生地は、焼成の前に1~2時間室温に馴染ませます。
工程5:室温に馴染ませた生地を、焼成のサイズに丸く伸ばします。乾いた小麦粉を両面に附着させてから、平台の上で、中心から外側に押すように丸く伸ばしていきます。手のひらサイズまで伸ばした後、遠心力を使って、中心部分を薄く、外縁部にコルニチィーネを形成するように伸ばして、直径26㎝サイズの生地にします。
工程6:熱したフライパンに伸ばした生地を乗せ、コルニチィーネとなる部分にソースが掛からないように、その他の全体にまんべんなくソースを塗り、ガスコンロを強火にしてからトッピングを加えます。ソースやオリーブオイルが沸々しだし、生地の裏面全体に薄ら焦げ目がつき始めたら、コンロからフライパンを下ろし、熱しておいたグリルに焼成途中のピッツァを移し、3~4分ほどグリルで焼成します。4分以上だとコルニチィーネに焦げ目が付きます。焦げ目は香ばしい香りをピィツァにまとわせてくれますが、3分でも中までしっかり熱が通っています。
完成:グリルから出してお皿に乗せれば、ナポリ風ピッツァの出来上がりです。
2025年11月21日金曜日
ザイアス博士
三年前の深秋から、髭を伸ばすことにしました。但し、ひげ面の寿命は早春までとしています。今年も11月に入って伸ばし始めています。なかなかサンタクロースの様にはなれません。但、嬉しいこともありました。ひげ面の頃に、志方町にあるとっても美味しいアメリカン風なハンバーガーが食べられるROUTE65を訪問すると、ご主人から「宮崎駿さんに似てる」と言われ、以後、何となく顔を覚えて頂いたことです。また、この冬も、美味しいハンバーガー頂きにROUTE65に行かないと、と思っています。
そんな先日のある日の事、いつものように早朝に目覚め、目覚めの歯磨きを行っていて、ふと鏡を覗くと、そこに映る顔は、どう見ても宮崎駿監督ではありません。目をこらして眺めていると、ハッと思い出しました。チャールトン・ヘストンが主演した1968年の映画「猿の惑星」に登場するザイアス博士のお顔をです……

