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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2019年7月20日土曜日

I believe in yesterday

ビートルズのYesterdayを聴きました。
そして
Oh, I believe in yesterday 私は昨日を信じる
のフレーズが心に強く残ります。

18日の午前に起こった、京都アニメーションスタジオ放火殺人事件は、未曾有の大量殺傷事件となりました。殺された、また大怪我を負わされた人たちは、若い、この日本が誇るアニメーションの次代を担う人たちでした。事件の詳細が分かるにつれて、言いようのない悲しみ、憤り、そして恐怖が募ります。

京都アニメーションは、古くはジブリの「紅の豚」や「魔女の宅急便」の制作にも参加されていたとの事ですので、私の様な年齢の者にも、掛け替えのない贈り物を与えてくれたアニメーション制作会社です。

何の前触れもなく、快活で幸せな日常が一瞬にして奪われた多く人たちに、
何一つの慰めにもならないかもしれませんが
昨日までの、快活で夢に向かって歩まれていた貴方の姿を信じています。そして
明日からの、体と心が癒やされながら、再び快活で夢に向かって歩まれる貴方の姿を信じています。


しかし、どうしても分かりません。
身勝手な怨みに狂い、冷酷に非道な大量殺人が行える人間が、この日本で生まれる理由がです。
現在の世界では、冷酷で非道な大量殺人は、至る所で起こっています。しかし、身勝手であっても、そこには長い人類の歴史が作り出した、人種差津別、宗教差別というゆがんだ主義が根底にあるものです。
でも、今回の犯行にしても、また考えてみれば、最近頓にニュースで目にする、幼い子殺しも、友達殺しも、通り魔殺人も、同じで、ただただ身勝手だけで、何も根底に無いように思えるのです。非常に薄っぺらに思えるのです。

一つ言えるのは、
命が軽視されている、という事です。
そういう風潮が蔓延しつつある、という事です。

すべての命あるものは、平等に、尊い
人の心の芯に刻む教育を、今すぐに行わなければ、地球温暖化と同様に、対処期限を見過ごせば、取り返しの出来ない事態を招くことになるかも知れません。

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