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不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2018年3月28日水曜日

悪い忖度を防止する事を考えましょう。

忖度、もともとは推察する、或いは思いやる、気の毒に思う、と同義語であった様ですね。古くは古代中国や日本では平安時代から使われていた言葉だそうです。
この忖度を「上位者の意向を推し量り行動する」の意味で使われ始めたのは最近です。そして昨年遂に流行語大賞に選ばれました。言葉はきっと、泣いているに違いないと思います。

そして忖度があったか無かったかという不毛な問答で国会が空転しています。キーマンという元公務員の証人喚問も、何の事実も証言も引き出せないという事は始まる前からわかりきっていました。また証言者が「忖度をした」と証言していたとしても、それで上位者を罪に問うことなどできません。もし忖度で上位者が罪に問われるとなれば、冤罪がそこかしこで起こるでしょう。

忖度で罪を起こしても、忖度された側を罰することはできません。
今回は、森友事件の中で起こった公務員による公文書偽造の罪の真相を司法の手で詳らかにして実行者に重い罰を与える。
と同時に、国会にて国会議員に頑張って貰って「上位者の意向を推し量り罪を行う」ことが決して割に合わない様にするための法整備を、確実に行って欲しいです。

長期政権など権力がひとところに長く留まれば、「上位者の意向を推し量り罪を行う」事が往々にして起こります。「上位者の意向を推し量り罪を行う」事が割に合わないほどに重い罰が下される事になれば、罪を起こさない為の強い抑止になると思います。
国会議員には、まずはここに注力して欲しいと思います。

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