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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2014年1月7日火曜日

映画「永遠の0」を観ました。

今日は、娘さくらと映画「永遠の0」を観てきました。
年末年始の連休が終わった後の、平日火曜日、いくら好評でも朝一の上映はゆっくりと観賞できると思っていたのですが、さにあらず
上映開始10:10の20分前に姫路OSに入りますと、映画館内は混雑していて入場券売り場には人が並んでいます。1回目の上映を観るのは無理かもしれないと思ったほどでありました。今日は火曜日、レディースディで、私と同年代カップルや女性グループを多く見かけました。

入場券を購入し、スクリーン1のK列13、14席に着席して上映を待ちました。
そして映画が始まりました。小説と同じく、鬼神となった零戦が対空砲と機銃から放たれた幾千万の砲弾、銃弾をかいくぐりながら敵空母を目指すシーンから始まりました。
それからの二時間あまり、満席の上映室スクリーン1は、啜り泣く音の他に洩れ聞こえる音は無く、皆スクリーンに釘付けです。娘も始まりから終わりまで泣き通しでありました。
「永遠の0」のタイトルが現れて、サザンオールスターズの「蛍」とともにエンドロールが流れても、すぐに席を立つ人はいませんでした。そして皆、目頭を真っ赤にし、優しい微笑みを浮かべて映画館を後にしていたのが印象的でありました。

映画は、小説とは異なるシーンが何カ所かありました。そして次の二つのシーンは小説を越えていました。
一つは、何故に祖父は特攻で死んだのかです。小説でも幾人の証言を総合すれば答は導けるのですが、映画ではこの重要な問いの答を明確に感動的に描いていました。
祖父は、祖母との別れの際に、「必ず生きて戻る。たとえ腕を失い、足を失うことになっても必ず戻る。もし命を失ったとしても、生まれ変わって妻と子のもとに必ず戻る」と約束します。
そしてその約束は、予科練の教え子の一人に、死の淵からもしかしたら生還できるかもしれない「蜘蛛の糸」を託して、そして教え子が妻と子を行く末までも守ってくれると信じて、己は晴れやかに死に向かうことで果たされます。
そしてもう一つは、エピローグです。小説では、鬼神となった零戦が爆弾を抱いて敵空母に突っ込む下りが描かれていましたが、読み終えて、このシーンは無くてもいいなぁと思っていました。しかし映画では、まさに特攻を果たす瞬間の若き祖父の顔をスクリーン一杯に映して終わりました。若き祖父は、晴れやかな笑顔で逝ったのです。この鮮烈で素晴らしいラストシーンは、映画史に残る名場面として長く語り継がれる、そう確信しました。

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