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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2024年1月4日木曜日

神も仏もないのか

三日、友だちと会った時の第一声でした。

元旦の午後4時10分頃に能登半島地方で起こった震度7の大地震です。震源地となった能登地方から直線距離で約350㎞のここ播州地方にも長周期震動が届き、地震の規模の深刻さを実感しました。その被害は日を追うにつれて深刻さを増しています。

そして二日の午後5時50分頃に羽田空港で起こった航空機衝突事故です。着陸した直後の旅客機が滑走路に侵入していた海上保安庁の小型輸送機と衝突し、小型輸送機は爆発大破し、旅客機も火を噴きながら停止、それから20分ほどで機全体が炎に包まれました。旅客機の乗客乗員379名が乗務員の冷静な誘導によって、停止後18分で全員が無事避難できた事は本当に幸いでしたが、能登地方に救援物資を届けるために小型輸送機に搭乗していた海上自衛隊の5名の隊員が死亡、1名が重傷を負われた事は、言葉にならないほど辛い出来事となりました。


神も仏もないのか


正月は、特に日本人が神仏に集い手を合わせて願い事をするという、古来からのしきたりの神聖な日です。神仏を身近に感じる日です。なのにこんな仕打ちを日本人に行うのか、という憤りも分かります。

私はどういうものかを言葉で説明する事はできませんが、この世界、あらゆる世界を創造し、永遠に見守り続けている存在はある、と思っています。存在は、この世界のあらゆる生きとし生けるものの創造主であり、創造したあらゆるものの誕生を見守り、死滅を見守ります。逆説的に云えば、誕生も死滅も私たちの行動や進歩に懸かっているという事です。もし存在が私たちに慈悲により望みを叶えてくれるとするなら、憎悪によって絶望に落とすことにもなるでしょう。慈悲や憎悪は、人間特有の感情であると私は思っています。存在は、慈悲や憎悪を超越した存在だと私は思っています。

だから、地震の深刻な被害や飛行機事故は、私たち自身が受け止め、私たち自身で対処しなければならない事です。地震の被災者に手を差し伸べて、苦しみを分かち合い、助け合い、復興に向けて気持ちを一つにする。飛行機事故も同様に、原因を究明して、二度と同様の事故が起きない様、防ぐ事ができる様にする事です。

そういう私たちの行動こそ、存在が望む事ではないか、と思います。

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