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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2023年12月24日日曜日

ほんとうのイエスの話をしよう

 紀元4世紀頃に、古代から様々な場所で太陽の復活を祝う冬至の日(12月25日)をキリストの降誕日と定め、以後、キリスト教教会でこの日にキリストの降誕祭を祝う様になったと伝えられています。そして今日は12月24日、日が沈むとクリスマス(キリスト降誕祭)です。昔の暦では日の入りが一日の終わりで、新しい一日は夕べに始まりました。それがクリスマスの夕べ、クリスマス・イブニング、キリスト降誕祭の始まりです。


イエスは、歴史上で実在した人物と云われますが、その足跡を辿るものは聖書の福音書の他には伝承の類いしか無いようです。

現在のイスラエル国の北部、ガラリア湖の西方の街ナザレで、紀元前6年から紀元前4年頃に、ユダヤ民族の神ヤハウェへの敬虔な信仰を持つ大工のヨセフとマリアの一人子としてイエスは誕生し成長します。そして青年となったイエスは、父と同じ大工を生業としながら、信仰の伝道者としてガラリア湖周辺で活動を始めます。

イエスが生きた時代は、暴君ヘロデ王が興した古代ユダヤ王国の最後の王朝の時代でした。すでに地中海周辺はローマ帝国の支配下にあり、ユダヤの地もローマの支配下にありました。ヘロデはローマ皇帝に許しを請い、この地に自らの王朝を興したのです。

最後のユダヤ王朝の時代は、暴力と不正が蔓延る時代であった様です。王の一族や法学者などが権威を振りかざし、神聖であるはずの会堂は、賄賂の蔓延る市場と化していました。

この様な恥ずかしき政治や信仰活動に異を唱え、戒律に絶対を求める原理主義者や、正当なユダヤ王国の復権を唱えて暴力に訴える者も現れました。イエスも体制に抗うひとりとして現れました。しかし、イエスが望んだ活動は、この時代において、虐げられた人々、貧しき人々、身を売る女性たち、苦しみ嘆く人々にこそ、神の祝福が与えられる事を伝導する事であったのです。姦淫の罪で罰せられようとした女性を弁護したり、癩病患者や梅毒患者を親身に看病したり、会堂で行われる不正を暴いたり、イエスは信仰を糧に、現在で例えれば、社会をよくするために危険を顧みない非暴力の社会活動に従事しました。そんなイエスの活動は、遙か昔に高名な預言者が記したユダヤ民族の救世主像そのものでした。

預言のユダヤ王が現れた事は、権威を我が物とする人々にとって、不都合極まりない事でした。その為、彼らはイエスの活動に難癖を付けてイエスを貶める事に躍起になりますが、それでもイエスがくじかれる事はありませんでした。そして遂に彼らは、イエスを『権威に刃向かう者』、乗じて『ローマ帝国の権威に歯向かう反逆者』として総督に訴えます。

総督はイエスに罪があると認める事が出来ませんでしたが、ユダヤの権威者の訴えを聞き入れて、遂にイエスは最も厳しい刑罰である十字架の磔刑に処され殺されました。紀元30年頃の出来事です。


その後すぐ、ユダヤ王国では、ローマからの独立運動が盛んになり、遂に紀元66年頃にこの地を賭けたユダヤ戦争が起こります。そして70年近くに渡る戦争の末にユダヤ民族は敗北し、エルサレムから追放されます。それはユダヤ民族の以後二千年にわたる離散、苦難の始まりとなりました。


その後の世界を支配することになったキリスト教徒から疎まれ、蔑まれ、抑圧され、人権の概念が西洋社会に浸透する近代まで人扱いされる事のなかったユダヤ民族は、遂に20世紀に入り、ヒトラーの政治によって絶滅する民族として標的にされます。この絶滅政策(ホロコースト)によって、ほんの数年の間に600万人のヨーロッパのユダヤ人が虐殺されました。そういう筆舌に尽くし難い苦難、苦痛、艱難の末に、現在のイスラエル国は誕生しました。イスラエルはアメリカ、イギリスという第二次世界大戦後の世界の指導国となった国連常任理事国の二ヵ国の後ろ盾があって今日に至っています。


ユダヤ民族が追放された二千年の間に、ユダヤの地には様々な民族が流れ着いては定住し、また離れては新しい民族が流れ込んでは定住するという事が繰り返されてきました。そしてヨーロッパがこの地を植民地として侵略する以前までは、様々な民族が、様々な出自を持つ人々が、様々な宗教を抱く人々が、穏やかに共に暮らしていたといいます。そこには現在のパレスチナ民族もユダヤ民族も、その他のイスラム教信徒も、キリスト教信徒も、もしかしたら土着の宗教の信徒もいたことだと思います。

もしかしたら、その時代こそが、イエスが望んでいた社会であったのではないかと想像します。


今、その地は、軍事力と経済力を持つイスラエルが、パレスチナ民族の自治区に攻め入り、パレスチナの抵抗できない人々、病人、老人、女性、子供、妊婦、新生児、障害者を、テロリストと一色単にして、象が蟻の集団を踏み潰すように殺しています。イスラエルが本格的な戦闘を開始して一ヶ月あまりで二万人のパレスチナ人が殺されました。この中の八千人は子供です。この殺戮行為は、イスラエルが止めない限り、続きます。この惨劇を、アメリカをはじめヨーロッパが黙認している限り終わる事はありません。


マタイによる福音書の二章に、ヘロデ王の幼児虐殺のエピソードが記されています。

ユダヤの真の王がベツレヘムで誕生するという預言を占星術師から伝えられたヘロデ王が、ベツレヘムとその周辺で生まれた二歳以下の幼児を皆殺しにしたというエピソードです。ヨセフとマリアは主が使わされた使いの警告に従い、幼子イエスの命を守りました。

子供は私たち人類の未来の希望であり、救世主となりえる存在です。子供たちを、その親を殺す事は、二千年前の悪夢を再び甦られる事に繋がりかねません。


この戦争、そしてロシアによるウクライナ侵略戦争も同様です。その他、あらゆる戦争、殺戮行為も同様です。子供や女性、か弱き人を虐待し、蹂躙し、いじめという暴力も同様です。欺す、偽る事も同様です。誹謗中傷も同様です。

即時、中止にしなければなりません。

そうしなければ、きっと主の天罰が、ロシアに、イスラエルに、そして私たち人類に下されるかもしれません。

そうならないためにも、クリスマスに、私たちは誓わねばなりません。

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