播磨の国ブログ検索

不寛容にもほどがある!

現在の日本社会を支配する倫理観では不適切として烙印を押されてしまう、昭和ど真ん中の言動や行動で生きている中年の男性教師を主人公にして、現代にタイムスリップした主人公が、誰かが不適切だと呟けば社会全体が盲目的に不適切を糾弾する不寛容な現代の日本社会の有り様に喜劇で一石を投じる、宮藤...

2011年5月16日月曜日

第34回加古川地区中学校大会 鹿島中 優勝!

第34回加古川地区中学校大会決勝は、予定よりも20分余り早く始まった。
決勝戦の相手は、加古川地区屈指のサウスポー・エースを擁する平岡南中。

鹿島中のバッテリーは、こちらもサウスポー・エースの雄大-拓樹。

試合は鹿島中の先攻で14:07に始まった。

初回表、平岡南中のエースは、噂に違わぬ力強い速球を遺憾なく見せつけた。

1回裏、1死を取ってから2四球、三塁盗塁、WPで1点を先取される。

2回表、2死から8番レフト帆岳が左バッターとしてクリーンヒットを放つ。この回得点には至らずも、帆岳の闘志がチームを奮い立たせた。

3回表、先頭バッター1番ショート凌がセンター前ヒットを放つ。そしてすかさず二盗。ここで、2番ピッチャー雄大がレフト線にぽとりと落とす二塁打で、凌が生還し同点。

3回裏、サードゴロで幸伍に本来の守備のキレがないのをみると、藤原監督は早かった。この日、全くバッティングにおいてタイミングの合っていないライト孝鯛をベンチに下げ、幸伍をライトに、サードには悠将を起用した。守備固めである。
1死から死球で出塁した走者が二盗、そして牽制悪送球で三塁まで進塁した。
ここで、平岡中はラン・エンド・ヒットの奇襲にでるが、拓樹が外して空振り、しかし、三本間に挟んだ走者に巧く守備陣をするぬけられてホームインされたと思いきや、スリーフィートライン・オーバーでアウトのコール、危機一髪でした。

そして4回表、2死から凌が四球で出塁、二盗し、雄大が右中間にタイムリーを放ち、凌が生還し逆転。見事な速攻でした。

4回裏、平岡南中5番打者のレフトフェンス際の大飛球を帆岳がフォンスを恐れぬランニングキャッチのファインプレー。ここでもまた、帆岳はチームに勇気を与えた。

5回以降、雄大は内野ゴロ1本に押さえる好投で、最後の打者をセカンドゴロに仕留めて、ゲームセット。2-1の勝利、時間は15:42ででした。

チームとして、2本目の優勝旗(この大会では、大会優勝旗と協賛の朝日新聞優勝旗が与えられたため、計3本である)を学校に持ち帰ると共に、エース雄大が、見事な復活を果たした試合となりました。

藤原監督の秘密兵器が、その一躍を担ったのかもしれません。

雄大は、2週間ほどでしたが、投げられない期間があり、エースとして忸怩たる思いでいた事でしょう。それを一気に晴らした。自らの左腕で、タイムリーでチームを勝利に導いた。

祝勝会(夕食会)  の席で、雄大に問いかけた質問への雄大からの返答にそれが表れていました。
試合前の心持ちは→『おなじサウスポー、絶対に投げ勝つ』
試合後の心持ちは→『気持ちよかった』

祝勝会では同じ質問を、この日のラッキーボーイ帆岳にも問いかけました。
試合前の心持ちは→『自分の役割をしっかり行う』
試合後の心持ちは→『気持ちよかった』

※祝勝会で私が質問したにも関わらず、会を終えてから約4時間近く経過し、彼らが語ってくれた言葉をすっかり忘れてしまいました。やはり健忘症にはメモが必要と改めて思い知らされています。ただ、二人の言葉を聞いた時、『気持ちよかった』という印象が強く残り、ここでは、その印象を言葉として書きました。

さぁ、これからの1ヶ月余り、中体連高砂大会から始まる中体連大会をどこまで登り続けられるか、その最終調整の期間に入ります。

野球の練習においても、普段の生活においても、怪我をしない事、一人ひとりが十分に心に留めておいて欲しい事柄です。

そして、この1年間鹿島中野球に取り組んできた、己を信頼し、仲間を信頼し、鹿島中野球を信頼して、一朶の戦う集団へと気持ちを盛り上げていって欲しいと思います。

そして、『勝って』『勝って』『勝って』、中学野球を楽しみ尽くして下さい。

p.s.
日岡山公園野球場についた、13:30、直前に行われた『第33回西日本軟式(二部)県大会決勝』の閉幕式が行われていました。そこで野球というスポーツの礼節の厳しさを思い知る事になりました。

スタンドに着いたとき、丁度、日章旗・大会旗降納、優勝旗授与、そしてダイヤモンド行進が行われました。その直前に、放送席からスタンドの観客へ、起立と脱帽の要請があったにも関わらず、これから始まる試合の準備で全く耳にも入らず、また例え入っていたとしても、他人事として無視していたでしょう。
現実に、一塁側スタンドで控えていた平岡南中は、選手・応援団とも起立し脱帽していたとの事です。私はそれさえ見ていなかった。

藤原監督は、肘やふくらはぎに痛みを訴えていた選手のケアをされていて不在。藤原監督は、その後、事態を掌握されぬまま、審判控え室に挨拶に行かれ、鹿島中の礼儀をわきまえぬ行為に対して叱責を受けられたとの事。

今回の件では、私たち父母会サポーターは大会運営者から、一観客でなくチームの一員と見なされている事を理解しました。
今回の失敗を繰り返さないようにする事は当然ですが、今後、野球に関わってゆく限り、野球全般に関わる作法、運営で戸惑う事が、これからも数多く遭遇する事になるでしょう。

今後は、試合会場に入った時点で、公式な場所に足を踏み入れたという気持ちを持って、細心の注意を払い、不明瞭な点があれば、必ず監督の指示を仰ぐ、そうして、未然に不具合を回避する様、心掛けたいと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿