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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2011年4月21日木曜日

必要なのか?『語彙・読解力検定』

今朝の朝日新聞朝刊に
『朝日新聞社とベネッセコーポレーションが共同で開発した「語彙・読解力検定」の第1回受検申し込み受け付け』という広告が一面サイズで掲載されていました。

asahi.com 2011/4/20 13:54
http://www.asahi.com/business/update/0420/TKY201104200288.html?ref=rss

「語彙・読解力検定」では、朝日新聞の記事などをもとに語彙や文章に関する知識と運用力、基礎的な読解力を問う新しいタイプの検定試験で、マークシート方式で測定する。と説明があり、今回は準1級(大学生、社会人)、2級(高校生~大学生、社会人)、準2級(中学3年生~高校生)の三つの級で実施するとのこと。
料金は準1級5千円、2級4100円、準2級3600円(税込み)と決して安い検定料金ではありません。

その昔、大学受験の国語試験では、朝日新聞の『天声人語』(朝刊第1面に、毎日書き継がれた、800字程度の文章で、その日伝えたいニュースを豊かな知識・経験識で補完され書かれた名文)から出題される傾向が強かったと聞きます。

実際に、自宅では朝日新聞を取っており、天声人語を含め、コラムの充実ぶりは、ニュース記事よりも、より深く出来事を掘り下げてあって、知的好奇心を高めてくれます。

それが、新聞が本来持つべき、読者に『洗練された文章で、情報を伝える』という目的、目標ではないのか、と思っています。

英検は、私が中学生の頃には既にありました。当時は現在よりも英語力の判断基準として強い影響力があったと思います。
しかし、現在では、実社会、特に企業では英語力査定は通称TOEIC(Test of English for International Communication 英語を母語としない者を対象とした、英語によるコミュニケーション能力を検定するための試験)のスコアーで行われ、また特にアメリカの大学へ進学するためには通称TOEFL(Test of English as a Foreign Language 外国語としての英語能力テスト)で一定の英語力を満たしていると判断されなければそのパスが与えられません。

1990年代以降に漢検ブームが訪れましたが、数年前に漢検協会の不正な運営が明らかになり、ブームも終わるかなぁと見ていましたが、日本人の、何かに没頭したい、トライしたいという欲求に合致しているのか、一時の『猫も杓子も』ほどではありませんが、漢検協会の運営も健全化され、一部の学校では、必須受験になっているところもあります。

そして、今度は『語彙・読解力検定』の登場です。
試験は『マークシート方式』で測定するとあります。『語彙』は、一見漢字と同様に暗記主体と思われますが、実社会での用法は千差万別で、コンピュータによる解析鑑定で良いのかと疑問を覚えます。『読解力』判定は、なおさら疑問です。

何故に先進諸国では、小、中、高と12年間も掛けて、義務教育をするのでしょうか。
それは、日本においては、明日を担う日本人を育てるという大義のもと、特に語学(母国語である日本語、そして英語の理解力、読解力、漢字・単語・語彙の暗記力・活用力、そして語学を親しみ、好きにすること)、数学(計算力、理論的解釈力、効率化等の創造力)を初等教育から高等教育に掛けて、徐々に教育・指導内容を高度化し、一定の力を身につけさせて、社会に送り出すためだと考えます。
また、この12年間、クラスで仲間と共に歩み、先生を指導者として仰ぐ、これにはコミュニケーション(伝える力)やリレーションシップ(関係を築く力)を育てるという意義もあると考えます。

語彙・読解力検定HP
http://www.goi-dokkai.jp/index.html

『教育現場では、全国の先生方より生徒や学生の読解力や表現力の低下を指摘する声が多く聞かれるようになってきました。
特に、教科や学科の専門用語ではなく、教科書に出てくる日常的なことばでつまずく生徒や学生が多く、それが先生方の指導の負担を大きくしているというお声をお聞きします。
PISA(OECD・生徒の学習到達度調査)の調査結果によると、日本の読解力は回復しつつあるものの、科学的リテラシーや数学的リテラシーは従来のようなポジションにまでは回復できていません。』
続いて、
『「教育テスト研究センター(CRET)」が2008年1~2月に小学校5年生と中学校2年生を対象に実施した調査によると、国語、算数(数学)、理科、社会の4教科について、「教科学習に関係する語彙問題(24問)」と「教科知識を活用する問題(2大問)=読解問題」を解いて結果を分析したところ、いずれの教科においても、語彙テストの得点が低い子どもは、知識活用テスト(読解力)の得点が低い傾向にあることが明らかになりました。
本来、学習とは学校に通う間のみ続くものではなく、生涯学習として一生続くものです。学習することで、社会とのつながりができ、同時に生きていく力を育むことにもつながっていきます。まずは「語彙力」と「読解力」が学力向上または、学びに欠かせない要素といえます。』
と書かれた、『開発背景』を読んで愕然としました。

問題とする、次代を担う日本人である子どもたちの学習能力の低下は、国家の怠慢のなにものでもないと思います。また、日本人として『このように育って欲しい』という、『このように』という『規範』も明確でない。これも問題です。
語彙・読解力検定の意義は理解しますが、企業が営利で行うべき問題ではなく、次代の日本人を育てる『一貫した、長期的視野に立った教育』を国家として、早急に取り組み、施行することこそ重要です。

この場合も教育行政機関は、(いわゆる小さな政府に徹し)明確で揺るぎない指針を立てることと、教育現場で日々奮闘される学校の先生からの職場環境改善要望、有効な授業手法などのフィードバックを受けて改善・共有化に努めるのみとし、実質的な生徒指導の権限はどんどん現場の先生に委譲すべきです。
国家として、教育現場で日々奮闘される学校の先生に地位の保障(権利)と保全(教育現場への横やりから守る)を守るとともに、職務に対する厳しく重い義務および責任も委譲する。
それが、教育現場で日々奮闘される先生の『遣り甲斐』を後押しするのではないかと思います。

指導者、教育者が『遣り甲斐』と、『教育しやすい環境』を得て、日々子どもたちと接する中で、指導方法・方式を工夫・改善・開発され、実践され、成果があれば、共有する。

それが、現在の様々な教育現場で起こっている問題や、生徒の学力低下問題を解決する、最適な手段だと考えます。

以前のブログでも書きましたが、義務教育に、企業の営利を混入してはいけないと考えます。学校(先生)が中心となり、学校の強い指導・指揮のもとで、保護者や地域社会も参加して、SNS、つまりソーシャルなネットワークを構築して、みんなで協力し合って変革していく。
それが必要だと考えます。

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